※サイドエフェクト持ちの女の子のお話
※迅さん→?←女の子←太刀川さんのような関係性
※最上さん辺りの捏造がぽろぽろあります
以上が大丈夫で且つなんでもだいじょぶ!という方だけどうぞ!








 明日の天気、大雨。ていうか今夜からもう降り出すみたいだ。しまった、傘忘れたな。本部から借りてこう。
 今夜の夕飯はカレーだ。レイジさんのだ。うまいだろうな。カツが見えるけど、もしかして風間さん来るのかな。
 いま俺が待っている太刀川さんとこれからやる模擬戦、負けるっぽい。まあ今日は弧月でやるし、仕方ないか。あ、もう入口に太刀川さんが見える。そこでぱちりと目を開けた。数秒後に入ってくる待ち人の姿を「視界に」捉えるべく、ラウンジの入り口に視線を移す。自動ドアにぼんやりと影が宿り、すぐにウィン、と扉が開いた。
「遅いよ太刀川さん、待ちくたびれたんだけど」
「おー迅、悪かったな」
「ったく、自分でこの時間に来いって言っといて何して──」
「えっ、迅?」
 ぼそり、とかすかに聞こえてきた自分の名前と、ちらりと太刀川さんの後ろに見えた人影に、思わず言葉が詰まる。まさか、と疑ったのは一瞬のこと、向こうもこちらを確認しようと姿を見せてきたため、俺の嫌な予感は確信に変わった。
「あれ、さん?」
「えっ迅くん、ごめん……もしかして、太刀川の言ってた模擬戦の相手って」
「おれだよ」
「ああもう!ちょっと、太刀川!話が違う!」
 俺に見せた申し訳なさそうな表情が一転、彼女は眉間に険しいシワを刻んで、太刀川さんに掴みかかった。ぐいっと引っ張られた太刀川さんが、ぐるりと方向転換する。あの様子じゃ、太刀川さんがなんとか騙してさんをこの場に連れてきたのだろう。そうでもなくちゃ、さんが好き好んで俺に近づくことはないのだ。別段嫌われている、という訳ではないんだろうが、彼女は俺から距離を取る。避けている、の方が悲しいかな、正しいかもしれないくらいに。それでも一時期は顔を見るたびに脱兎のごとく逃げ出していたことを思えば、今はだいぶマシになったと言えるんだけど。
「迅くんだなんて言わなかったじゃん!風間さんだって言うから、私来たのに、」
「迅が居ないとはいってないけど」
「はい!?なんか言った!?」
「あー、痛い。首、首しまってる
 弁解させる余地を与えないさんの怒りっぷりに、さすがの太刀川さんも白旗をあげたのか、首元が解放されるとともに「ごめんごめん」とさんに謝っていた。
 なるほど、太刀川さんに負ける気配があったのは弧月だからというだけじゃなく、さんがいるからか。俺は二人の漫才のようなやり取りを傍観しつつ、先程の未来予測に一人納得していた。
 模擬戦の最中にさんが傍にいることと、俺が負けること、その二つは必ずしもストレートに直結するわけではない。でも、俺が不利になることに、さんという存在は少なからず関わっていた。
「どうして太刀川ってば、そうやって迅くんの能力邪魔するの!」
「いやー、ほんと便利だよな。お前のSE」
 けらけらと笑いながら、まるで反省の色を見せない太刀川さんはそんなことを言う。一度ごめんと謝ったくせによくもいけしゃあしゃあと、と俺は脱力するしかない。あんなことを言えるのは多分、ボーダーでも太刀川さんくらいだろう。無遠慮で、さんの気持ちなんてこれっぽっちも気にせずに言っているように見せかけて、それでいて本当は彼女のことを想った言葉を告げられるのは。俺には出来ない芸当だ。
さん」
「迅くんごめんね、私すぐ本部から離れるから──」
「いいから、別に。そこで見てていいよ」
 名前を呼ぶと、さんはさっきまでのコワイ表情を消して、すぐに「ごめん」と口走る。太刀川さんなんかよりよっぽど感情がこもっている分、俺がなぜだか悪いことをしたような気分になる。まるで小動物を虐めてしまったような。この人は自分よりも年上だというのに。そんな感覚を断ち切るように、さんの言葉を遮った。ここから出ていくと言う彼女を引き留める。さてどんな反応をするのか、俺にはわからない。
「……ええと、でも、」
 けれど、途切れた言葉の続きは簡単に予想できた。自分がここに残ることで生まれる結果、自分のサイドエフェクトが及ぼす影響を危惧しているのだ。不安そうに揺れる瞳は、もう見慣れたものだった。俺と一緒にいるさんは、大抵そんな顔をする。笑顔とか、怒っている顔とか、他のいろんな表情は、太刀川さんと相対しているときによく出ているというのに、俺に向かうとなるとすぐこうだ。
「いいんだって。おれ今日は弧月でやるつもりだから、勝てないのは承知だし」
「おい迅、弧月でだって勝つ気でやれよ」
「やるやる。やるから、太刀川さんもなんとか言ってよ」
「はっはっは」
 本来なら一番さんを説得すべきなのは、彼女がここに残ることで得をする太刀川さんのはずだった。損しかしない俺が、どうして太刀川さんより積極的にさんを引き留めているのか。そんな矛盾を面白がってか、太刀川さんはまた声を上げて笑う。お気楽なトップアタッカーの態度に、さんがむっと顔をしかめたのが見てとれた。
「迅もこう言ってるし、大人しくそこで見てろって」
「あのねえ太刀川、」
「風間さんも、あの人講義終わったら来るって言ってたし。待ってれば」
「…………本当に?」
「マジだよ」
 さんは俺たちと同じ攻撃手だけど、武器は弧月でなくスコーピオンを愛用している。だから多分太刀川さんに、風間さんとの模擬戦を見学したらどうだとかなんとか、そんな風に誘われて今日もここに来たに違いない。実際に待ち構えていたのはこの迅悠一だったわけだけど、後から来ると諭されてしまえば、さんの天秤が待つ方に傾くのは時間の問題だった。
「よし。じゃあなんか飲み物買ってきてやるわ。座って待ってろ」
 反論の出なかったさんをやや強引にラウンジの一席に落ち着かせ、それから俺を振り返って、「お前にもなんか買ってやるよ」と太刀川さんは珍しく先輩風を吹かせてきた。断る理由も特に見つからなかったので、俺は素直にその後に続くことにする。その手前で、ひとり残してしまうことになるさんを少し振り返ると、太刀川さんの背中を追っていたのか、さんと視線がぶつかった。
さん、なんか希望ある?」
「えっ、あー……えーと、じゃあコーヒーで」
「了解」
ちょっと待ってて、と手を振ると、さんはまた少し、申し訳なさそうに眉を下げて笑った。



「借りてきた……なんだっけな、」
「猫?」
「そうそう。それだ、アイツ。お前の前だと、ずっと」
 自動販売機まで歩いていく間、太刀川さんはそんなことを言い出した。借りてきた猫、その意は普段とは違う姿を見せることにある。まあそんなことは百も承知だ。太刀川さんに食って掛かる彼女をたったいま目の当たりにしたばかりだし、それに、もっと前──少なくとも俺のことを「迅くん」だなんて呼んでいなかった頃、さんは俺の前でも表情豊かだった。借りてきたような、他所行きのような仕様になったまま戻らないあの人を見て、太刀川さんはどう思っているんだろう。

 。俺よりひとつ年上の先輩で、高校時代は同じ学校に通っていた。もちろん大人数の学校内で接点があるわけがなく、ボーダーで、同じスコーピオン使いのアタッカーとして、たまたまランク戦で一戦交えたことが出会いだった。
 さんは、弟子をとるとか人に教えるなんて柄じゃない俺に、何度もスコーピオンを用いた戦い方を教えてほしいと頼み込んできた。そりゃあ使い始めたのは俺が最初だけど、少ししたら使いこなし始める奴なんてボーダー内にはごろごろいたし、理論的できっちりしてる風間さんとかの方が師匠に向いていると思うと何度も言ったのに、さんはめげずに俺に模擬戦を挑み続けた。結局最後まで手取り足取り教えるようなことはしなかったけれど、傍から見ればそういう風には十分見えていたらしい。もっとも、詮索好きの連中にはそれ以上の関係なんじゃないか──つまるところ男女の付き合いがあるんじゃないか、なんて噂を立てられたりしてこともあった。それも、仕方ないっちゃ仕方ないのかもしれない。それなりに、まあ、仲は良かったから。
 それが手のひらを返すように、さんが俺から距離を取るようになったのは、彼女のサイドエフェクトが発覚したのが原因だった。

 「SE封じ」などと呼ばれるさんの能力は、名前の通り、他の人間が持っているサイドエフェクトの機能を著しく妨害する。村上鋼が彼女の近くで眠りについても記憶はくっきり定着しないらしいし、菊地原士郎が彼女の傍にいれば、彼の聴力は並みの一般人程度になるらしい。きっと空閑遊真は、彼女が見える範囲にいると誰の嘘も見抜けなくなるんだろう。
 例にも漏れず俺も、さんが近くにいると未来視のサイドエフェクトは機能しない。ただ、離れてしまえばその効力は復活する。だからさんの未来を垣間見ようとするならば、目の前に本人がいる時にではなく、離れて、距離をおいたあとでチャレンジすればいい。条件は近くにいるかいないか。そんな単純なものだったから、出会ってしばらく経っても俺はさんが「SE封じのSE」を持っているとは気づかなかった。ラウンジで話をしているときに、何度かさんや他の誰かの未来が見えないことがあっても、少し調子が悪いのかと考えていたくらいで、模擬戦をしているときは、そもそも未来視を取り入れることなく勝ててしまうほどの実力差が俺とさんにあった。
 ただ、言い訳するつもりはないが、普通、サイドエフェクトは周囲が気付くものじゃない。大前提として、その能力には本人の自覚が伴う。けれどさんの場合は能力が能力なだけに、その前提がなかった。何か目に見える電波を発しているとか、そんな外見的な変化は一切なくて、ただそこに存在するだけでスイッチが入ってしまっている。本人としてもいつもとなんら変わりなく過ごしているはずなのに、誰かに何か影響を及ぼしてしまっている。それに気づけというのは、正直言って酷な話だ。
 これが、ボーダーの研究班の技術のアレコレを駆使して発見されたならどんなに良かっただろうかと思う。でも実際その端緒に気付いたのは、他でもない、同じサイドエフェクト持ちの俺で、そのきっかけは、己の前からいなくなるだなんて思いもよらなかった、俺の道しるべだった人の一大事だった。
 最上さんの一報を聞いたそのとき俺は本部にいて、やっぱりさんと一緒だった。何度目かわからない個人戦を終えたあと、ラウンジで少し話し込んでいたときだった。
 その知らせが訃報じゃなかったことが不幸中の幸いで、じゃあその後どう動くのが最善か、と巡らせたはずの脳内には、けれど一つの選択肢も見えなくて。また調子が悪いのか、なんて自分の能力にイラついたときだった。「また」と思う時、いつもそばにはさんがいて、彼女が傍からいなくなったあとに未来を視ようとすると、上手くいく。そんな不思議な法則に気がついた。その瞬間、伝達機能なんてまるで無視したように、脳みその閃きはするりと口の中まで落ちていって、言葉となってさんの目の前にこぼれてしまった。確信を持っていたわけでもない、単なる思い付きに近いことだったけれど、彼女本人にあの場で、あの状況で伝えたのはとんでもない間違いだった。
 あの日から、さんは、自分のSEをひどく嫌っている。決して長い間俺の傍に居ようとはしなくなった。俺に申し訳ない顔ばかりを向けるようになった。俺のことを「迅くん」と呼んで、常に一線を引くようになった。

 ラウンジの端に設置された自販機の前で小銭をじゃらじゃらと選別して、それからいくつかを投入口に放り込むと、太刀川さんはいの一番にブラックーコーヒーのラベルを押した。それもしかしてさんのなの、と聞くと、だってコーヒーって言ってただろ、とあっけらかんとした答えが返ってくる。そうか、ミルクを入れないと飲めないと言っていた彼女はもういないのか。
さん、ブラックとか飲めるんだ」
「見た目はいかにも甘党、って女なのになぁ」
「おれそういう意味で言ったんじゃないんだけどね」
 俺の言葉に太刀川さんが首を傾げたけれど、説明する気にもなれず、まあいいや、と俺は光ったままのボタンのひとつを押した。ガコン、と落ちてきた小さな缶ジュースを拾い上げていると、上から「お前のそういうところ、よくないぞ」と太刀川さんが不満のような声を上げた。
「未来が見えてんだかなんだか知らないが、まあいいか、って感じで済まそうとする」
「いや、今のは未来とか関係ないけど……なんで、だめなの?」
「だってじゃあ、猫はそのままでいいのか」
「ねこ?」
「猫。借りてきたまんまの猫でいいのか」
 取り出し口から体を起こして太刀川さんを見ると、その視線は自販機のラインナップをうろうろしていた。なんでもないようなトーンで話すにしては、凝った中身だった。
 太刀川さんはどう思っているのだろう、と不思議に感じていた。太刀川さんは、俺に近づきたがらないさんを度々巧妙な手口で騙しては俺の元へと連れてきた。そして大抵、どうして私を連れてくるの、と憤るさんに「模擬戦のときに迅のSEを黙らせられるから」という、なんと身も蓋もない理由を挙げては、彼女に怒られることを繰り返す。太刀川さんは、本当はそんなことしなくたって、というか寧ろ俺のサイドエフェクトを封じない方が戦闘として楽しいはずなのに、どうしてかさんを騙してでも、怒られるとしても、俺の隣に連れてきた。以前、それが当たり前だった場所に彼女を戻そうとするかのように。
 太刀川さんとさんは、同い年で、今同じ大学に通っている。そのせいで騙し騙されを繰り返しているのだろうけど、最近よく二人が一緒のところを見かけることが増えた。さんのサイドエフェクトが発覚して、俺が黒トリガーを持つようになったことと入れ替わるように、俺がいた場所はすんなりと太刀川さんが取って代わった。模擬戦をやってたり、ラウンジで飯を食ってたり、そうやって二人は俺にはもう叶えがたい距離感で過ごすようになった。放っておけばボーダーを辞めかねないくらいに落ち込んでいたさんを、太刀川さんは文字通り放っておかなかった。
 しばらくは自分の能力のことで元気のなかったさんが、俺を見つけるやいなや回れ右をしていたような避けっぷりを見せていたさんが、ここまで──といってもまだすぐに謝る癖が抜けていないことを考えると引け目を感じているのには違いないけれど──以前のような彼女に戻ってきたのは、間違いなく、傍らに立つこの男の功績と言えた。
「あいつ、前よりは逃げなくなったし、お前の顔ちゃんと見るようになってるだろ。だからお前からも近づいてやれよ」
 借りてきた猫のままで、何もアクションを起こさずそのままにしていた俺と、そうしなかった、太刀川さん。明暗がくっきりしていて、俺には弁解の余地もない。
 未来を視たら、そこには俺じゃなくて別の男がいたから、じゃあその人がさんを支えてやるんだなと知ったから、俺は何もする必要はないと思った。未来がそうなっているならそれでいい、と自らのアクションによる変化を望まなかったのは、誰でもない、俺自身だ。
「……太刀川さんはおれとさんをどうしたいわけ」
「白黒ハッキリさせたい。お前ら見てるとなんかモヤモヤすんだ」
「モヤモヤ」
「ああ」
 自動販売機のボタンを押すその指が、少し力むように見えたのは気のせいではなかった。語気を強めた太刀川さんは、落ちてきたミネラルウォーターを取り出して、それから視線をだけを流すように俺に向ける。
「避けてるくせにすっかり忘れようとしない女と、避けられてるって諦めてるくせになんか余裕そうな男見てると、モヤモヤする」
「太刀川さん、キューピッドなんて柄じゃないでしょ」
「俺はさあ、迅」
 太刀川さんがペットボトルの蓋をねじってプシュ、と空気を抜く。乾いた喉にごくごくと水を流し込む。そこで途切れた答えの先を、俺は読むことができない。さんが近くにいるせいだ。なんて俺に言いかけているのか、視えやしない。それが普通の人間の当たり前の感覚で、別段楽しむものでもないというのに、俺は高揚した。
「別にお前たちのことくっつけたいとは思ってないぞ」
 喉を潤わせた太刀川さんは、ふう、と一息つくとその先を続けた。それからくるりと踵を返してラウンジの中央で待つさんの元へと歩き出す。彼が言い残したそのたった一言が、以前俺の視た未来をより一層色濃くした。
 サイドエフェクトに人の心情まで覗き込む機能なんてついていない。太刀川さんがどういう経緯で落ち込んださんの隣に寄り添ったのか、その辺のアレコレは俺の知るところではなかった。けれど知ってしまった。もしわからないままだったら、きっとうやむやにしていたであろう未来への希望と絶望を、俺はそのまま受け入れていたはずだったのに。
 くっつけたいとは思わない、だからといって引き離したいと、そう断定された訳でもない。俺の言葉に誤解が生まれることへの単なる否定にもとれる。けれどわざわざ俺に言ったってことは、言わないままでも良かったことを明らかにしたってことは、そこが境目、グレーゾーンでどっちつかずの立場に甘んじていることを、もうこれからは良しとしない、そういう宣戦布告に思えた。
「……『避けてるくせにすっかり忘れようとしない女』、か」
 この言葉ひとつで揺らぐところを見ると、俺の余裕とやらも、そう長くは持たないかもしれない。
 彼女の隣に見えた男は間違いなく俺ではなく、太刀川さんだった。そこで諦めもついていたはずで、だからこそ生まれた余裕が今まで彼女に対する態度に現れていた。けれど、未来の映像だけでは見抜けない心の裡を、彼女の隣の男は見抜いている。どこぞの諦めの悪い男に向いているその心を。
 先にさんの元へと戻った太刀川さんの背中を眺めながら、俺は小さく笑った。未来がわかっていたって足踏みするだろ、こんなの。

見えた男と見えなかった男

5th,August,2015