探した、と言葉が続く。けれど、口調からは全く苦労を感じさせない。それはそうだ。かくれんぼをするにも、鬼ごっこをするにも、分が悪い。ここ蝶屋敷は彼女――胡蝶しのぶの縄張りであって、私にとっては時たま訪れる程度の場所でしかない。そんなところを舞台に勝負をしたところで、結果は目に見えている。
 潔く、ここは一旦白旗を挙げて、 と、背後の彼女を振り返ろうとした私だったけれど、その動きがなぜかふと、後ろから頭部を抑えられて止められてしまう。

「あら、無理しないで。一時は首の皮一枚だったとかいう程の怪我をしていたんでしょう。まだ完治してないのよね。また具合が悪くなったら大変だわ」

 一息で、反論する隙も見せずに告げられた言葉から、顔は見えないもののしのぶの怒りをひしひしと感じる。出会った頃は落ち着いた印象を持っていたこともあったけれど、しのぶは結構喜怒哀楽がはっきりしている。そんな彼女の性質を理解するようになって時も経てば、ひりひりと掛けられる圧にも、それなりに慣れがくるというものだ。

「首の皮一枚だなんて大袈裟な……。首元切られたせいでちょっと失神してただけだって」
「失血死寸前で運ばれてきて意識が三日も無かった当の本人からしたら、そうね、『ちょっと失神してた』くらいの感覚かもしれないわね。アオイ達が三日三晩寝ずに大わらわで治療に当たってたことなんて知る由もないでしょうしね?」

 一を言うと十どころか百言い返してくるところに、しのぶのお冠状態がかなり高いところであることを悟った。普段の他愛無い言い争いだったなら、私にもそれなりに勝機はあるのだけど、どうにも今日は分が悪いようである。

「しのぶ、さっき任務から帰ってきたにしてはやけに詳しいのね……?」
「ええ、ただいま」
「お、おかえり……」
「私は五体満足でここへ戻ってきたので、留守の間の話を聞くぐらいなんてことないの。意識がなかったあなたと違って」

 どうやら勝負の分かれ目は下準備の差であるらしい。ここ数日、意識のなかった私が目を覚ましたのは今日、お昼時を少し過ぎたばかりのことだ。それから経過を観察していたアオイちゃんに半分泣きながらのお説教を受け、自分の状況をやや理解した。首元に巻かれた包帯の下がじくじくと痛むのはそういうわけか、とそこで腑に落ちた。痛み止めをもらわないと満足に昼飯の粥も喉を通らなかったけれど、しかし流石はしのぶの調合した薬、 陽が傾き始めた今も痛みに呻かずに済んでいる。
 鬼との戦いで深手を負って蝶屋敷に運ばれたとき、死にかけだったと、先程しのぶは言ったが、それでもかろうじて意識はあった。だから私に必要だったのは、そこから正体失くしていた間の三日間の情報だった。特に、屋敷の主の有無は私にとって速やかに得なければならない情報だったので、アオイちゃんを慰めつつなんとか聞き出した。「しのぶ様なら任務を終えてもうすぐ戻ってこられます」と聞いてはいてもたってもいられない、慌てて病室を飛び出してかくれんぼに勤しんでいたのだ。最も、ものの見事に見つけ出されてしまったのだけど。
 見つかってしまっては最後、アオイちゃんをしのいだ後、今度はしのぶのお説教の時間だ。こんこんと続く、自分の不手際への説教。もっとうまく立ち回れたはずなのではないか、とか、視野を広げて周りをよく見れば犠牲も少なく取れた手段があるのではないかとか、耳に痛い話はまだまだ序盤で、続いてアオイちゃんたちのような治療部隊の面々にどれほど心労をかけたのかとか、私の大怪我のために増えてしまった薬剤の精製や看護の労力等へまで話が及び、耳が痛いどころの話ではない。自分の落ち度を責められるよりも、余程良心を抉られる。それはもう、ぐりぐりと。
 流石にこうも精神攻撃が続くと――というかそれ以前にもう諦めて白旗は上げていたのだけど――海よりも谷よりも深く、申し訳ない気持ちで頭を下げたくなる。もっとも、物理的にそんなことをすれば傷口が開きかねないのでしないけれど、反省の重みでひっそりと肩の力も落ちてきている。そろそろお説教も潮時にしてほしい。謝罪の時間では、と思うものの、現状、しのぶからは「こちらを振り向くな」とばかりに、頭を押さえられてしまっている。そろそろ開放して頂けないだろうか。

「あのー、しのぶさん? できればお顔を見て謝りたいなぁ、なんて」
「……」

私の非は重々理解いたしました、と付け加える。周囲に多大なるご迷惑をおかけしましたこと、勿論しのぶに謝って終わる話ではないが、ひとまずはご立腹な彼女への誠意が先だろう。そう思ってのことだったのに、なぜかしのぶは微動だにしない。それどころか、無言のままに、振り向くなと言わんばかりに頭を抑える手に少し力が入っているような気もする。いつもなら、しのぶがこれだけお小言を落とせば、私が反省していることも分かってくれるはずだろうに、今日はなんだか頑固というか、なんというか。私がしのぶの顔を面と向かって、見て、謝ってはいけない理由でもあるのだろうか。
 例えば、彼女も私に見せられないような怪我を負っている、とか。でもそうだとすると、「私は五体満足でここへ戻ってきた」という先ほどの言葉とは矛盾する。背後のしのぶからは、嫌な鉄のにおいだってしない。私がしのぶの方を振り返って、しのぶに何もないというのなら、それなら、なにかあるのは私の方ということになる。なんだ、毎度お説教をすることに飽きて、ついに私の顔を見たくないほど呆れてしまった、のだろうか。それとも、私の顔なんて見たくないくらいに――ああ、そうか。
 もしかしたら、とたどり着いたしのぶの言動の理由が、本当かどうかを確かめるべく、私はしのぶの制止を振り切って半ば無理矢理彼女の方へと振り向いた。今の今までおとなしくしていた私が無理に傷元を動かすとは思わなかったのだろう、意表を突かれたようなしのぶの顔がそこにあった。けれど、すぐに歪んで、眉がしかめられ、目元は三角に。一度はきっと引き結んだその口元が、尖るように鋭く、私に開いた。

「ちょっと!また傷口が開いたらどうす――」
「ごめんって」

 この時間までしっかりと痛み止めとして効いていた、しのぶのお手製の薬の効果は、今はっきりと切れてしまったのに気づいた。じりじりと痛み出す感覚で、折角アオイちゃんが懇切丁寧に治癒してくれたことが無為になったことを自覚した。血が包帯に滲んで、傷口が開いてしまったことをしのぶに知られてしまう前に、と私は言葉を言い募った。

「怪我人の顔、血色悪すぎて見たくもない?」
「……っ、」
「でも悪いと思ってるから、しのぶの顔を見てちゃんと謝らせて」

 こちらの我が儘だという体で押し切ろうとする私に、しのぶは苦虫を潰したような表情をしていた。こういう言い方をすると、彼女が揺らぐのを知ってのことだ。そしてそれをしのぶ自身も自覚しているから、尚のこと悔しさでこちらを睨んでくるのだ。でもその瞳が、怒りだけで溢れているのではないということを、面と向かって相対した私は知っている。怒ったようにして、波立つ不安の心を隠そうとしていたことに気づいている。

「ごめんね、しのぶ。怪我、心配させた」
「……怪我じゃない、大怪我よ。一歩間違えれば、もうここにいなかったのかもしれないのよ」
「ごめんなさい」
「私の薬だって万能じゃない。間に合わないことだってある」
「うん」
「私の薬に頼らないで、過信しないで。私の……私の、」

 怒ったような口調が、次第に心もとなく揺れ始めたのに気づいて、私は慌ててしのぶの手をぎゅっと握った。それは彼女の心を安心させたいが為の一手だったのだけど、その行動が、どうやら彼女の心痛の決壊を招いたようだった。握った手元をたどるようにして、しのぶが私の体を引っ張って、華奢な彼女の腕がめいっぱいの力で私を抱きしめた。

「私の顔を見て謝りたいっていうなら、もっと……もっとちゃんと、元気になってからにして」

 やっぱり、目も当てられないような様相らしい。しのぶに会う前に、鏡でも見ておくべきだった、と私は内省した。

「血の気はないし、青白いし、頬もこけちゃって」
「三日も寝てればね……」
「目が覚めてから食事はとったの?」
「ああ、うん。お粥もらった」

 すぐそばで、しのぶがほっと息をつくのを感じ取った。こう言うとまた何か怒られてしまいそうだけど、腕や足、その他は大した損傷はないのだ。目が覚めればこうして蝶屋敷の中をしのぶから逃げようとする頭も足あったし、お粥を食べる元気も空腹もあった。彼女が合格点を出す五体満足とは言い難い体ではあるが、今のところ、私は無事に生きている。謝るのは、顔色その他を及第点にまで回復させてからのこととしよう。でもその前に、言わせてほしい一言がある。それをしのぶに告げないとと思い、しのぶから少しばかり体を離した。意図に気づいた彼女も、腕の拘束を緩めて私の顔を覗き込んだ。

「どうかした?」
「……ただいま、しのぶ」
「!」
「言ってなかったと思って」

 刹那、しのぶは、もう一度私のことを抱き締めた。彼女が顔を埋めた肩口で、 「おかえり」と呟くのを、 私はこそばゆい感覚にくすぐられつつも拾うことが出来た。 帰還の報告と出迎えの挨拶、何十回、何百回と今まで繰り返してきたその形式的なたった一言を交わすだけで、どうしてこうも胸にすとん、と安らぎが落ちてくるのだろう。嬉しいような気恥ずかしいような、そんなことを感じる齢はとっくに過ぎたと思っていたはずなのに。どうやらこういう類いの感情はいつまで経ってもなくならないらしい。――否、しのぶだからこそ、私に何度も思い出させてくれるんだろう。


二度目に貴女の顔を見るときは

10th,November,2020