椅子を引く音に顔を上げると、珈琲牛乳の紙パック片手に、そこから伸びるストローをくわえている小湊が私の前の席に落ち着いた。そこは彼の席ではない。もっと言うと、同じ野球部の伊佐敷の席である。けれどそんなことはお構い無しに陣取ると、ズズッと中身をすすり上げながら、小湊は私の手元で開かれていた雑誌の上下を一瞬にしてひっくり返してしまった。その手は止まることなく私が見ていたページからどんどん後ろへめくっていく。せっかちだなぁといつも思う。私が雑誌を読んでいると、小湊がそれに参戦してくるのはいつものことだ。但し彼が興味を持っているのはトレンドのお洋服でも小物でも何でもない。巻末の星座占いのページだけだ。

「私まだ着回し特集見てたのに」
「純が帰ってくるとうるさいから」

ようやく目的のページにたどり着いた小湊は、そこでようやく口を開いた。口元から離れていった紙パックがベコッと凹んでいる。最後に飲む時にパックを押し潰そうとした証拠だ。几帳面そうに見えて、そういう飲み方は案外雑なんだと新しい発見をする。伊佐敷みたいなタイプの、ザ・男って感じの飲み方。意外だなぁ、なんて思っていると、小湊がこれまた「うわぁ」と珍しく困ったような声をあげた。

「今月どうなの?」
「酷い。酷いの一言に尽きる」

ちらりと彼が指差す場所を見る。牡牛座、のロゴの下には星マークがひとつしかなかった。これはヒドイ。この雑誌の星座占いは、詳しい解説とは別に、パッと見でも分かりやすいように五段階の星マークで表されていて、絶好調ならばお星さまが五つ並ぶ。星一つというとその真逆、最低評価というわけだ。

「わぁ、タイミング悪っ。今月模試あるのに運勢最悪ですと」

個別に金運、恋愛運、仕事運という括りで運勢が書いてあるけれど、それを読むまでもない。全体運が悪いということは、金運ならお金が逃げていくでしょう、仕事運ならミスをしてしまうでしょう、みたいな感じで、きっと悪いことばかりが書いてあるに違いないのだ。生憎と勉強運は乗っていないので、私達は勝手に仕事運に置き換えて読み取っているが、まぁ似たようなものだと思う。大人と子供の頑張りどころなわけだから。

「今月牡牛座さん最下位じゃないの?」
「……そういうお前はどうなの?」

私がぐいっと首を伸ばして彼の生まれ星の運勢の解説をよく読もうとしたら、負け惜しみかささっと珈琲牛乳のパックで隠されてしまった。この雑誌はもともと私が買ったものだから、隠したってどうせ後で見ちゃうんだけど、と思いつつ、私も自分の星座欄を探す。上下を逆さまにされているせいで読みにくい。つつ、と指で誌面をなぞるように辿っていって、そこで初めて気付く。ああ、そんな。

「うっそ、私もヒドイ……」
「最下位タイじゃん」

私のところにも小湊と同じように、お星さまは一人寂しくぽつんと印字されていた。かわいそう。いや私がだよ。今月大切な模試があるっていうのに、困る。モチベーションに影響する。

「金運、衝動買いで思わぬ出費の痛手があります、気を付けましょう……仕事運、大切なことに後から気付きます、日頃から注意深く生活しましょう……だって!怖い!何やらかすんだ私!?」
「俺も大体同じようなこと書いてあるな」

小湊も、いつの間にか自分の解説を読み込んでいた。さっきまでは彼の最低な運勢をからかってみようかなんて軽い気持ちもあったけれど、今はそんなことを言ってられる状況ではなくなった。
何せよく当たるのだ、この占いは。紛失物が見つかります、みたいな一節があった先々月、本当に失くしたはずのイヤフォンジャックが私の鞄から数ヵ月ぶりに発見されたし、モテ期到来、と書かれた先月の伊佐敷の恋愛運なんかその通り、後輩の女の子から告白されたり差し入れもらったりしていた。少なくとも私と小湊と、それから多分伊佐敷の心を動かしてしまう程度には説得力のある占いだった。

「え、ちょっと、恋愛運なんか」
「なんだよ」
「低迷期です、とにかく我慢しましょう……って!」
「あーらら、残念」
「しかも、相性の悪い人のところ……牡牛座って出てるんだけど」
「……俺もお前の星座とは相性最悪って出てるな」

そう報告する小湊の牡牛座スペースの傍には、いがみ合っている二匹の小さなウサギのイラストまである。喧嘩でもするという暗示だろうか。お互いがお互いの相性最悪の相手って、と私は思わず小湊と顔を見合わせた。ムッと彼の眉間の皺が深くなる。

「お前何しでかしてくれるつもりなわけ?」
「いやいや、何で私が悪いみたいな話になるの、小湊かもしれないじゃん」
「俺を災厄扱いするなよ」
「…………」
「…………」
「…………か、解決法を探そう」
「…………それだね」

何を言い争っても無駄なのだ。お互いがお互いの運勢に悪影響を及ぼすであろうことは既定路線なのだ。なら少しでも報われる方法を、ともう一度二人して誌面を覗き込む。大抵、悪い占い結果が書いてあった時には、こうすれば少しは良くなるでしょう、みたいな救済が載っているもので、私の金運も「赤い小物を持つと出費が押さえられるかも!?」とかちょっと適当なアドバイスが書いてある。だけど恋愛運に関しては、そんな助言が一文字も載っていなかった。全体運や仕事運のところも見たけれど、結局金運の赤い小物だけが私への救済策だった。そんな無責任な、と絶望しかけた時、小湊が声を上げた。

「あ、あった」
「何?何すればいいって?!」
「『相性の悪い人とは徹底的に距離を置いてみましょう。』……だってさ」

これまたなんとも大雑把なアドバイスだった。そりゃ近付かなければ悪いことも起こらなそうだけど。触らぬ神にうんたらかんたらだけど。

「で?どうする、距離置く?」

果たしてそんな簡単なことで良いのだろうかとも思う。けれど、あのウサギのように、小湊と喧嘩する未来がある可能性を考えると、やらないよりはやっておいた方が良いかもしれない、と思うのだ。

「置いとこう」
「そう、それじゃまた一ヶ月後に」

小湊が、ポンポン、と雑誌を軽く叩いて立ち上がる。きっと来月号の雑誌の占いを見るまで、小湊が私に話しかけることはない。たった一ヶ月。三十日。自分の席に戻っていく彼の背中を見送りながら考えた。元々席だって近くないし、委員会も係も違うし、引退したけど部活だって違う。小湊とは友人だけど、彼と話せないだけで私の学校生活が苦しくなるほど友達がいない訳じゃないし、野球部に用があったら前の席の伊佐敷か、増子くんに頼めば事足りる。クラスメイトという以外はほとんど接点がないから、教室で話さなければ他にどこで話すところがある、そんな感じだからこそ、簡単な救済策だと思っていた。実際スムーズに事は運んでいっていた。はずだったのだけど。

日付は一ヶ月の折り返しを迎えてとうに経ち、その日は新しい雑誌が出るまであと10日といったところだった。授業と授業の合間のわずかな休み時間で、教室にはたくさんのクラスメイトが自席で自由に過ごしていた。受験生なので黙々と勉強をしている人もいるし、誰かと談笑している人もいるし、私の前の席に座る伊佐敷にいたっては悠々と漫画を読んでいる。この前ハマりだした新しい少女漫画で、既に何冊か発行されているのでそれを追いかけているのだという。少女漫画だけど男子高校生が主人公で、彼や彼の周囲の恋模様を描いた笑って泣ける面白い漫画らしい。私は読んでいないけど。なのにどうしてこんなに詳しいかって、伊佐敷に聞いたからである。ここ最近、伊佐敷と会話することが多くなったせいでそんなどうでもいい情報をたくさん持つことになった。元より前後の席ということで会話は少なくなかったけれど、こんなにも多く言葉を交わすことはなかった。こうなったのは、ここに小湊が遊びに来なくなったせいである。以前小湊がここへ来て私と話しているとき、つまりお昼休みとかの休み時間、伊佐敷は席を外していることが多かった。たまに三人で話すこともあったけれど、小湊は少女漫画に全く持って興味がないので話題は避けられていたし、野球部が二人いるせいか野球の話が多かった気がする。
一カ月もたっていないというのに、そんな記憶が遠い昔のように思えてしまうのは、占いの先生の言うとおり小湊と距離を置きだしてから全く会話していないせいだ。席の離れたここに彼が足を運ぶことも、私が彼の席まで遊びに行くこともないから、会話が始まらない。昇降口で出くわしたとしても、おはようとかまた明日といった挨拶すらしない。そういうとき、ふと視線がかち合うのだけど、決まってお互い反らしてしまうせいか、別に喧嘩しているわけでもなんでもないのに、どこか気まずさを感じたりもした。気まずさというか、なんだろう、声をかけられないむず痒さとでもいうのだろうか。いつの間にか、上から蓋をして、出られなくなってしまったかのような窮屈さを抱え始めていた。初めこそ目があったときに声がかけられないとか、そんな程度のことにもどかしさを覚えていただけだったのに、いつの間にか雲のように連なって大きくなって、気がつけば、誰かと楽しそうに談笑している小湊を視界に入れることすらもどかしくなっていた。それが今みたいに、隣の席の女子と話していると顕著になるというのだから、私はとうとう白旗を挙げなければならなくなっていた。

「伊佐敷先生」
「あ?なんだよ」
「あの人が、他の女の子としゃべっているのを見るともやもやぁっとするのは、何でしょう」

漫画に向けられていた視線が持ち上がり、一度私を経由して、斜め前の方で女子と楽しそうに話している小湊の方へと向けられる。それからまた漫画に戻っていた伊佐敷は、つまらなそうに、それでもハッキリ「嫉妬だろ」と答えてくれた。

「妬いてんのか、お前」
「そうみたいです」

やっぱりあの占いはよく当たる。今月の私の恋愛運は最低で、とにかく我慢しろ、みたいなことが書いてあった気がする。あの時は別に付き合っている彼氏もいないし、好きな人がいるわけでもない、といって流し読みしていたのだけど、今は状況が変わった。
ただのクラスメイトと一ヶ月話せないだけならこんなに物寂しい気持ちにならないし、ましてや誰か他の人と話していることに羨ましさなんて覚えない。自分でない女の子と楽しそうにしてる姿を見て、ヤキモチをやくのは、どうしたって恋心が疼いているせいなのだ。

「伊佐敷ぃ」
「あんだよ、邪魔すんな」
「好きです」
「……本人に言えバカ野郎」

言えたのならきっと、この身動きのとれない窮屈さからあっという間に解放されるんだろうと思う。でも少なくとも、あと十日はそれが叶わない。十日経ったら言うのかと問われるとそこは答えを濁さねばならないが、それまでずっとあの横顔を見て行きどころのない気持ちを募らせていかなければならないのは確かだった。
見ているだけじゃ、なんていつの間にか膨らんだ気持ちに水を指すように、不意に小湊がこちらを向いた。ばちっと目が合ってしまった。見つめすぎていたかもしれない、なんてそんな後悔を今さらしても後の祭りである。反射的に反らそうとしたのだけど、振り向いた小湊がその時、声に出さずにひとつメッセージを送ってきた。緩く動く唇をたどると「見過ぎ」とからかわれたのだと知る。私は思わず顔を伏せた。目を反らすだけではどうやったって、熱くなる頬を隠せないと思ったのだ。

「おっかねー奴に捕まったな、お前」

そう呟いた伊佐敷の声が頭の上から聞こえたけれど、うんともすんとも反応できなかった。

途中から憂鬱と化した運勢最悪の一ヶ月を終えた私は、ルーティン通りにまた新しく刊行された雑誌を買ってきた。ファッション雑誌なのに、特集には私のお気に入りのモデルさんが出てる新作鞄の企画があるのに、どうしてか私の手は手始めに一番後ろのページを開いていた。今月はどうかまともな運勢でありますように、なんて願いながら自分の星座を確認しようとしたところで、手元に影が射した。

「あれ、珍しく占いのページが開いてある」
「わっ、こ、小湊、」
「なに驚いてんの?」

顔を上げたら誌面を覗き込もうとしていた彼と、思いの外至近距離で視線が交わったのだから驚かないはずがない。それに久しぶりだというのも相まって私の心臓は一段と騒がしい。けれど小湊はそんな私をくすくすと笑い流して伊佐敷の席に当たり前のように座った。

「久しぶりだね、元気にしてた?」
「まあ……普通?」
「へえ、普通だったの。本当に?」
「……何で二回も聞くのよ」
「別に」

素っ気ない返事をしてすぐに占いのページに視線を落とした小湊だったけど、なんとなく悟る。彼は機嫌が良さそうだった。放っておけば鼻歌でも奏で始めるんじゃないかって感じの上機嫌っぷり。変なの。まぁ私も人のことは言えないけれど。久しぶりに聞いた穏やかなアルトに懐かしさを覚えたのをそっと隠して、私も追うように今月の運勢は如何なものかと雑誌を覗き込む。

「あっ、全体運、素晴らしいですだって」
「俺も絶好調って書いてある」

今月は先月とうってかわって、お星様が五つ勢揃いしていた。豪勢なラインナップに感動していると、向かいの小湊も嬉しそうな声を上げる。今月も二人揃って同じ運勢上向きかぁ、なんて少し嬉しくなった。

「一か月耐えた甲斐があったよー!」
「散々だったなぁ、ホント」
「ああ、模試の結果悪かったとか?」
「ケアレスミスして騒いでたお前と一緒にしないでくれる?」

純に泣きついてるの俺のところまで聞こえてきたからね、と半ば恥ずかしい記憶をでっちあげられた。そりゃちょっと気が動転して、どうしようって慌てふためいてたかもしれないけど。

「別に伊佐敷に泣きついてない」
「そう?俺には純とじゃれてるようにしか見えなかったけど」

軽くスルーされたようなことを言われたせいか、思わずむっとして、「じゃあ小湊は何が散々だったの」と反射的に聞き返していた。優雅に机に頬杖ついて誌面を眺める小湊は、私の反論めいた口調をさして気にする様子もなく、のんびりと「そうだなぁ」なんて回想に耽っていた。

「色々あったけど」
「けど?」
「特にっていえば、好きな奴とはまともに話せないし、違う男と仲良さそうに話してるのがよく目に入るしで、散々だったよ」

呑気に占い記事を追いかける視線は私の方に未だ向かない。対して私はさっきから記事なんて目に入らないくらい彼を見つめていた。すると、「ああでも、今月は大丈夫そうだ」と元より機嫌の良かった彼の口元がまた一段と緩くなる。トントン、と雑誌の牡羊座の欄を示す彼の指先につられて、私も読み上げられる文字を追いかけた。

「『意中の人から告白されるかも』だって。この占い良く当たるじゃん?だから俺期待してるんだけど」

綺麗に切り揃えられた爪の先が、私を導くように移動する。その指が今度は、まだ仔細にまで目を通していなかった私の星座にたどり着くと、恋愛運のとある一文を指した。『素直になるが吉』。それは一瞬視界に入れただけで読み取れてしまうほどに短くて、それでいて、私の心を丸っと見通したように的確なアドバイスだったから、思わず視線を上げてしまう。
持ち上がった瞳の先には、私をしっかり見つめる小湊がいた。このひと月の間に気付かされた感情の行き処を導いてくれるかのように、彼は微笑んで。

「で、どう?お前言う気になった?」



押してダメなら引いてみろ

2015,Mar,20