ちゃーん」

部室の鍵を返却し、職員室を後にしようと扉を開けたところに、及川がいた。ただ壁によりかかっているだけなのに、無駄に長い手足があるせいか、はたまた無駄に手間をかけているらしい髪型のせいか、無駄に整った顔立ちのせいか、どんな格好でも様になって見える。まぁ、手足が長いのはバレーに役立っているからそこは良いんだけど。

「岩泉と帰ったんじゃなかったの?」
「岩ちゃんは薄情な奴なので先に帰りましたー」
「?なんであんたはここにいるの?」
「もっとオブラートに包んで聞けないのかなぁ……優しさとかと一緒に」

話す気がないなら話しかけるな。大袈裟にため息をついて見せた及川の姿はこれきり、と見切って私は歩き始めた。「ちょっ、ちゃん話の途中なんだけど!」だったらさっさと話なさいよ、私を待ってた理由。

ちゃんと一緒に帰りたかったからに決まってるじゃん」
「及川歩きでしょ?私自転車だけど、それでもいいなら」
「え?乗って帰る気なの?嘘でしょ?」

部活終わり、そして夕刻と言えど蒸し暑い季節。さっさと家路に着きたい私に、パパっと帰れる私に、自転車を押して帰れというのか。面倒くさい奴だ。
それでも、及川がこんな行動をとるのは少し珍しかった。一緒に帰りたい、なんて部活の時にいくらでも声をかけられるのに言わなかった。部室を閉めて、その鍵を職員室に返却するという仕事が残っている私に、岩泉と仲良く「じゃあねー!」と手を振ったのは紛れもなくここにいる及川なのである。
確かにあの時二人とも校門へ歩いていったのに、なんでだろう。岩泉が先に帰ったというのも、私は岩泉がそんな薄情な奴ではないことを知っているので、どこか腑に落ちない。

「……なんかあったの、及川」
「うーん……えへへ」
「あのね、私さっさと帰りたいんだ。だからふざけてるなら本気で置いてくけど?」
「相変わらずストレートだなぁ」

へらり、といつもの笑みを浮かべた及川だったけれど、その表情にどこか暗い色が差している。
今日の練習で、何か落ち込むことでもあったのだろうか。ざっと振り返ってみても思い当たる節はない。一体どうしたというのだろう。口ではああ言ったけれど、どうにもそんな及川を放っておくことは出来なくて。

「……行くよ、及川」

今度は少し歩調を緩めて歩き出した。自転車置場にたどり着くまでの間、及川は私の斜め後ろにつけて、黙って着いてきた。



***



ガチャリ、と鍵を差し込んで鞄を前カゴへと放り込む。及川にも同様に促せば、斜めがけのスポーツバックを私の荷物の上に重ねて入れた。重量にぐらりと揺れたハンドルを慌てて支えると、その重さを実感する。前に後ろに、今日は筋トレになりそうだなぁと思った。

「……え、ちょっとちゃん」
「なに?早く乗りなよ」

どうせ彼の家は私の帰宅経路の途中にあるのだから、問題ない。

「いやいや、逆でしょ!普通に考えたら女の子後ろじゃないの!」
「及川にハンドル任せたら真っ直ぐ帰れないでしょーが」
「…………」
「図星だったら早く乗ってよね」

出発するよ、と校門へと舵を切れば、大きなため息が聞こえつつも、荷台に一人分の重さが増えた。
よっこいせ、と普段の倍固いペダルをなんとか回して、私たちは学校をあとにする。校舎が見えなくなって少しした頃、及川が私の腰に捕まるように手を回した。

ちゃん、……細い」

ちゃんと食べてる、と返せば味気ない返事が返ってくる。信じてないのか興味がないのかよくわからないトーンだった。
普段、及川は私のことを名字で呼ぶ。たまに名前で呼ぶこともあるけれど、1度や2度の話で。だから今、ずっと「ちゃん」といい続ける及川の声が、私にはなんだかむず痒くて仕方ない。

「及川、どしたの?」

そんなむず痒さを掻き消すように、私は言葉を紡いだ。背中に座る男子高校生は、普段より少し大人しい。

「……疲れた」
「何に」

部活に、なんてことはあり得ないのはわかっていた。

「さっきさ、女の子が俺のこと待っててね」
「……あぁ」

そっち絡みね、と私は納得した。及川の、いつか刺されるんじゃないかってくらいのモテっぷりは周知の事実である。
どうやら私と別れたあと、校門までは一度行ったものの、そこで出待ちしていた女の子に告白されたらしい。岩泉が帰ったのはやっぱり薄情な奴でもなんでもなかった。

「断ったら泣き始めちゃうしさぁ、慰めようとしたら、いいです、って断られるし」
「フラレたのに優しくされたくないんでしょ」

諦めつかなくなるから、と言うと、「女の子はホントわがままだよね」と、及川は不機嫌を露にした。

「ズバッとストレートに断っても泣くし、優しく断っても泣くし」
「人によるでしょ、それは」
「……でも俺は一人だよ」

ぐりぐり、と背中に頭が押し付けられる。暑い、なんて文句の言える状況ではなかった。

「全部に対応してるのは、俺一人」
「……そうだね」

女の子たちにとってはかけがえのない告白の瞬間かもしれない。でも及川にとっては、また面倒な時間がやってきただけで。

「ねぇ、もうどうすればいいと思う?イチイチ断るの辛いんだよ、俺も」
「彼女でも作ればいいんじゃない?」
「えっ!ちゃん立候補してくれるの?嬉しいなぁー」
「そんなバカなこと言うなら自転車から振り落とすよ」
「ダイジョーブ、ちゃんと掴まってるから」

ぎゅっと締まる及川の腕の輪に、私は今度こそ「暑苦しい」と一言呟いた。私の文句を聞いてか聞かずか、及川はよりいっそう輪を縮めて。

「ねぇ、今度は俺が後ろに乗っけてあげるよ。のこと」
「……何企んでるの」
「乗ったらわかるよ」

企みについては否定しないのか、と疑わしさが増すばかりである。けれども、先程よりは幾分明るくなった彼の口調に少しホッとした。いつもの及川だ、そんなことが少し嬉しい。

「俺、後ろに乗るならって決めたー」
「はぁ?嫌だよもう、一生乗せない」
「なんでよ」
「重いからに決まってんでしょ!」

普段より遅い帰宅ペースに、夕陽はとっくに沈んでしまっている。街灯もちらほら見え始めた。そのぶん、気温も涼やかにはなっているのだけど、後ろに1人乗せているせいか、体感温度に大差はない。
暑さは変わらないけど、まぁ、あんまり嫌じゃないかも。

「じゃあやっぱり、今度は俺の後ろに乗ってよ」
「2人乗りって基本的に禁止だけどね」
「あれっ、今日はなんで乗せてくれたの?」
「……今日は特別」
「……ふうん、トクベツ」

背中で反芻する及川の言葉を耳にしながら、なんだか今恥ずかしいことを言ったかな、私、と後悔が浮かぶ。それでも、しばらくすると聞こえてきた鼻歌が、及川の機嫌の良さを表していたので、なんでもいいか、そう思い直した。




透き通った夕べ

Happy Birthday to Oikawa!
20th,July,2013
title by tiptope