「うちのがお世話になりました」

 そう言ってぺこり、と店前に佇む友人たちに頭を下げる由孝を横目で見ていたら、黙っていればイケメン、なんて言われていた高校時代を思い出した。あれから何年も経って、お酒もとっくに飲めるようになった今、一言や二言喋ったところで由孝のあのアホなところがうっかり出ることはなくなった。すっかり大人になって、と幼馴染の成長を、私は乗り込んだ彼の車の助手席から実感していた。父親からの借り物だというセダンのハンドルを握る姿も中々様になってきている。

「いやー、一回言ってみたかったんだよね、アレ」

 車体が滑り出してからしばらくすると、由孝はウンウン、とどこか満足そうにそう呟いた。アレ、の指すところが、お店から去る際に彼が私の友人たちに残したあの一言だということは、すぐに察しがついた。

「なんかデキる男って感じ、するだろ!」
「はいはい」

 そういうこと言わなきゃ完璧なのにね、と心の中で応えたことは秘密である。でも実際、由孝の振る舞いを見ていた友人たちの期待に満ちた視線はきっちり私に向いていたので、彼の計画はほぼ成功していたといえるだろう。由孝は、私を迎えに来るとき、なぜか前もって「デキる恋人っぽく迎えに行く」と連絡を寄越していた。勿論私にはそんなこと頼んだ覚えも、許可した覚えもないのだけれど、長い付き合いのせいか、私はきっとまた由孝がネットか雑誌か、何かに感化されたんだなと判断して、その茶番に付き合うことにしたのだ。店まで来た由孝が私の荷物を持ってくれたことや、酔い具合を窺うように顔を近づけてきたことも、多分、由孝なりの「デキる男」像を演じた結果なのだろう。いつもはあんなふうにして気遣うような、そんな可愛い間柄じゃない。恋人でもなんでもない、私たちはただの腐れ縁でつながる、幼馴染でしかないのだから。
 そもそも、由孝がこうして飲み会終わりの私のことをわざわざ車を回して店まで迎えに来たのは、ややペーパードライバーと化しつつある自分の運転の感覚を戻したいからドライブに付き合ってほしい、と少し前に頼まれたのがきっかけだった。助手席に乗せたい女の子がいるだとか、その子を連れて行きたい場所があるだとか、何か理由を言っていたような気がするけれど、あまり覚えていない。私はあくまで「練習」に付き合うだけの相手にしかならないのだ、という事実を改めて思い知らされたことの方が、私にとってはダメージだったのだ。
 今日だってそうだ。きっといつかできる可愛い彼女のことを迎えに行く日の為の予行演習か何か。私にとっては「本番」にも等しいドキドキを感じていたなんて、由孝はきっと、夢にも思わずにいる。今私が座っているこの席も、これから先、全然知らない人の定位置になっていくのだと思うと、やりきれない思いが私の胸で渦巻いていく。
 いっそのこと、誤解でも生まれてしまえばいい、と意地悪な下心で、アクセサリーのひとつでも隠してやろうと目の前のダッシュボードを開くと、何冊かの本と、小さな一つの紙袋が入っていた。その外装が、私にも見覚えのある有名な宝飾店のものだと気付いたのと、扉を開けた音を由孝が拾って「あっ!」と声を上げたのは、ほとんど同時だった。

「あー! バカ! なんっで、開け、ちゃう……」

 ハンドルを手放せない今、由孝は私を止めることもできずに、落胆の声を車内に響かせるだけに終わった。もっとも、私が彼よりも落ち込んでいたのは言うまでもない。
 由孝が、女物のアクセサリーを求めようとしていたことは知っていた。少し前に車を転がした際、彼が同乗した私に意見を求めてきたことがあったのだ。どういうデザインなら好まれるのかとか、どういう場面で身に着けるのかとアレコレ聞いたり、いつの間にか用意していたカタログらしき雑誌を放って寄越しては、良いと思ったページの耳折っておいて、と頼んできたりしていた。あの時は、頑なに贈る相手をイトコだとか受験の合格祝いだとか言い張っていたけれど、今目の前にあるこのブランドが、親戚の子供相手に贈る値段ではないことは明白だった。
 嘘つき。なにがイトコだ、なにがお祝いだ。半ば八つ当たりのような気持ちでそんなことを思う。どうせこれも、助手席に乗せてあげたいとかいう例の女の子への贈り物のくせに。ネックレス、ブレスレット、それともピアスやイヤリングの類だろうか。あまり考えたくはなかった指輪、なんて想像も頭を過った。嫌だとは思うのに、どうしてか気になってしょうがなくて、重さから判断できないだろうか、と私はダッシュボードから紙袋を取り出した。

「おいちょっと! 待てってば!」
「別に包装開けたりしないから安心して」
「そうじゃな……あー、もう!」

 由孝の制止も振り切って、私はガサリ、と紙袋を開いた。特にテープで閉じられていたわけでもないので、開くのに遠慮もなかった。中には、小さな小箱がひとつ入っているだけだった。サテンのようなリボンで綺麗に巻かれている箱の上に、小さなメッセージカードのようなものが添えられているのも見えた。さすがにそれを取り出してまで見分する気にはなれなくて、私はそこで紙袋から顔を上げた。すると、同じタイミングで、キキッと車がやや急停止した。
 赤信号にでも捕まったのだろうか、と思わずフロントガラス越しに景色を見ると、そこは交差点でも何でもない、ただの道路で、少し歩道に寄せるようにして景色は止まっていた。けれどそこでふと気づく。そろそろ自分の家の近くまで来ていてもおかしくないはずなのに、見覚えのある街角はどこにもない。何度かお邪魔している由孝の家の方でもない。

「ねえ、ちょっと道間違えてるんじゃ……由孝?」
「はーあ……もう……」

 まさか迷ってるの、と運転手に問い質そうとしたところで、隣の幼馴染が大きくため息をついた。ハンドルに頭をもたれて、脱力している。一体どうしたんだろう、と首を捻りかけたけれど、それまで自分が好き勝手していた行動を一瞬にして思い出した。我に返ったとはまさにこのことだ。

「あ! ご、ごめん……これ、」
「バカ、バカヤロウだ」
「ダメって言われたのに、私」
「アホだ、間抜けすぎる……」
「……ごめん、大切な人への贈り物なのに、勝手にいじって」
「なんでそこに入れたんだ俺は……ん?」

 慌てて紙袋の体裁を直しながら口走った私の謝罪を、それまで独り言のように愚痴をこぼしていた森山が、不意に身体を起こした。

「今、なんて?」
「だから、勝手にいじってごめんねって」

 この通り、もう触りませんと証明するために、私はその紙袋をダッシュボードに戻して、パタン、と扉も閉めてみせた。けれど、由孝は素っ頓狂なことを言う。

「え、なんで戻す」
「……え?」

 なぜと言われましても。私には縁もないこのプレゼントを、元に戻さずどうしろというのだ。そりゃあ一度外の袋の方は触ってしまったし、中もちらりと覗いたけれど、肝心の小箱の方はノータッチなのだから、あまり問題ないはず。なのに、由孝は私に、訳がわからないといった視線を寄越してくる。長い付き合いがあるはずの幼馴染のことがこんなにも理解できないと感じたのは、何年ぶりだろうかと、私は呑気にもそんなことを思った。

「あー、あの、私紙袋には触ったけど、中は全然いじってないよ?箱があるな、ってチラ見したくらいで、ぜんぜん、ホントに、」

 言い繕えば繕うほどに、自分でもどこか嘘くさいような言い訳にしか聞こえなくなってきて、私は最後まで言えなかった。全然、本当に──羨ましい、なんて。
 けれど、由孝は私の言葉で何か腑に落ちたような顔をした。あ、と閃いたような声をこぼして、それから「あー……」と何か迷っているような声を出す。

「なんだ、気付いてなかったのか」

 そうして一言だけ呟くと、由孝はぐい、と運転席から腕を伸ばして、今しがた私が閉めたばかりのダッシュボードを開けた。中から、なぜかあのプレゼントのはずの紙袋を引き出して、さらにその中に手を入れて、リボンに包まれた小箱までも取り出してしまった。

「ちょっと、何してんの」

 仕舞っておきなよ、と自分のことは棚に上げて、私はそう言った。けれど由孝は聞く耳持たず、小箱のリボンに軽く挟んであった小さなメッセージカードを摘まみ取って、なぜか私の面前に広げて見せてきた。

「仕舞う必要、ないだろ」

 細くて軽やかな筆記体が紙の上で踊っていた。それが読めないほど子供でもなかった私は、一瞬にして理解した。メッセージカードが、プレゼントが、誰に宛てたものなのかを。

「誕生日おめでとう、

 カードの奥で、照れ臭そうに笑う由孝の顔が見えて、つん、と胸の奥に苦しいような、切ないような感覚が走った。

「これは、お前宛の誕生日プレゼント。だけど、開けるのはもうちょっと待って。あとちょっとで着くから」

 ぽん、と手元にあの小箱が渡されて、反射的に受け取ってしまったものの、引っ掛かる言葉を耳にした気がして由孝を振り返る。

「着くって──そういえば、これ、どこ向かってるの?」

 家じゃないよね、と確認するように問うと、由孝はちょっとだけ不敵に笑って答えた。

「俺、迎えに行くとはいったけど、お前ん家に送り届けるなんて言ってないぞ」
「……」

 ヒヤリ、としたのかドキリ、としたのか。その時少しだけ変な汗が流れたのは確かだった。思い返せるだけの記憶を呼び起こして、ここに至る経緯をたどる。あの日、何か予定が入っているかと今日の夜ことを由孝に尋ねられたとき、友人たちと食事をする約束がある、と答えたら。
『じゃあ迎えに行ってやろう! 車で!』
 と、声高らかに宣言されたのだ。私はというと、また例の運転の練習ついでなのかなとか、電車で帰るより楽で良いかなとか、そんなことくらいしか考えておらず、二つ返事で頷いていた。

「え……なに、本気でどこ行くの」
「冗談だよ。家送る前に、ちょっと寄り道するだけ」
「寄り道?」

 私の不安を少し嗅ぎとったのか、由孝は真っ暗だったカーナビのディスプレイのスイッチを入れた。それからいくつかの操作で地図を呼び出して、「ココ」と目的地を指差す。

「誰かさんがちょっと前に言ってたんだ、夜の海に行きたいって。なんかドラマで見たらしいんだけど」

 青く広がるその場所は、確かにこの間のクールのドラマで出てきた、海だった。夜の帳の落ちた静かな海辺で語らう二人のシーンに感化されて、私も海に行きたい、とかそんなようなことを、この幼馴染に話した記憶がある。

「行くにしても、夜ってなったら、やっぱり車だろ? 俺しばらく運転してなかったから、勘戻すのに時間かかってさ」
「……」
「遅くなったけど、ちょうどお前の誕生日が来たし、良いかなって……あれ、?」

 思わず俯いた私に、由孝が心配そうに声を掛けてきた。けれどすぐには応えられなかった。いま、頭のなかが一杯になってしまって、それどころではなかったのだ。
 聞けば切っ掛けは私だという。車を転がすようになった目的も、私を乗せるためだという。海へ連れていくためだという。由孝に言われるまで忘れかけていたなんでもない私の呟きを、丁寧に拾って大事にとっていたみたいに、私に話している。知らない誰かが座るんだろうと悩ましく思ったこの席は、結局私が座っているし、プレゼントも、私のもの。全部、由孝が、私にくれたもの。

「……今日の由孝、なんか優しすぎてこわい」
「なんだよ、俺はいつも優しいだろ」

 そうかもしれない。いつも、私が気がつかないでいただけなのかもしれない。今日だけの特別なんかじゃなくて、本当はいつも通り、だったのなら。
 冗談まじりに言い返す由孝につられて、私は顔を上げた。

「優しい優しい由孝くん、ひとつ、わがまま聞いてくれる?」
「……誕生日だから、特別な」

 ひとつだけだぞ、と重ねてくる由孝に、ちょっとだけ笑ってしまいながらも、それでもひとつで十分な私はもちろんだと頷いてみせた。
 たったひとつ、ほしい言葉をあなたがくれれば。

「なんで、ここまでしてくれるのか、教えてほしい」

 うぬぼれてもいいのなら、そうだと背中を押してくれないと、幼馴染なんて関係で甘えてきた私にはわからないのだ。なにも確信がないと、その優しさを見抜けなかったように、私はこれからも勘違いしないようにと予防線を張って見逃し続けてしまうだろうから。
 私のわがままに、由孝は一瞬だけ戸惑ったような顔を見せた。けれど、しばし私を見つめ返してから、すっと整えるように息を吸って、プレゼントを抱えていた私の手の片方を掬い取った。私の指先を、優しくも強くきゅっと包み込んだ。

の恋人になりたいからに決まってる」

 もしかすると、今夜私のことを迎えに来た時のあの台詞、「一度言ってみたかった」のは、私の名前の方だったんじゃないか、なんてくすぐったいことを考えてしまった。そのくらい、由孝の言葉が嬉しくて、浮かれてしまって、胸がいっぱいになった。なんて応えたらいいか、すぐには思いつかなかったので、言葉で応える代りに由孝の手を、私からぎゅっと握り返したら、由孝も私の気持ちを察してくれたようだった。

「ったく、海に着いてからカッコよく言おうと思ってたのに……」

 はぁ、と小さなため息とともに、由孝からそんな後悔がこぼれてきた。本人の思っていた計画を折ってしまったのは悪いとは思いつつ、少し拗ねたような表情を浮かべている横顔が可愛く見えてしまった。

「じゃあ、そっちも聞かせて。海辺で、とびっきりかっこいいやつ」
「……なんかハードル上げてね?」
「その逆。私、今、とびきり幸せだから、何言われても嬉しい」

 えへへ、とどうしようもなく緩んだ私の頬っぺたを、由孝がむにっと引っ張りながら「そういう可愛いことを言うんじゃない」と怒られたけれど、にやけ顔が隠せなかったのは言うまでもない。


アイラブユーのサイン

24th,May,2018