お昼休みに御幸のクラスに顔を出すと、相変わらずスコアブックとにらめっこしている彼がいた。近づいていくも気づかれず、「御幸」と声をかけたところでようやく顔をあげてくれた。

?どした」
「ブラバンからヒッティングマーチの候補リスト貰っといたから」
「おー、ありがとな」
「ううん、別に」

御幸とはクラスこそ違うものの、マネージャーという立場上、何かと顔を合わせることは多かった。特に彼が新しく主将になって以降、格段にその機会は増えた。初めは練習メニューの打ち合わせだったり、備品のことだったり、あくまで仕事の話をするに限られていたのだけど、最近では、一年生のこととか、他校の動向とか、その他のことも増えた。相変わらず話題が野球から離れることはないのだけど、それも御幸らしいなと思うのだ。だから今日も、なんとなく御幸の前の席を少々お借りして、腰を下ろす。と、そこでもう一人、このクラスの野球部がいないことを思い出した。

「……そういえば、倉持は?」

あの二人っていつも一緒にいるよね、という噂が隣のクラスである私の耳にまで届くくらい、御幸と倉持のツーショットは見慣れたものだ。その片割れが、今日はいない。不思議に思って聞いてみると、御幸は一瞬、ぽかんとした表情を浮かべたものの、すぐに「どっかいったわ」と無感動にそう言い放った。知らない、と言わないところが、二人の間に何かあったと思わせる。また倉持の勘に触るようなことを、御幸がいけしゃあしゃあと口にしたんだろうなぁ。

「なぁ、ちょっと聞きたいんだけどさ」
「なに?」

御幸の片手には、先ほど私が渡したファイルの中身が握られていて、資料の内容に何か気になることでもあったのかな、と私は思った。けれど、御幸の口から出てきた言葉はそんなこととはまるで関係なく。

「例えばさ、知らない奴から告白されたら、はどう断る?」
「───は?」

予想の斜め上をいく話題が出てきたことに、私は間抜けな声をあげてしまった。

「だから、どう断るかって」

いや、聞こえてるけれど、内容はわかるんだけど、そうじゃなくて。

「……いきなりどしたの?」

何の脈絡もない御幸の言葉に少し動揺する。例え話といっても、唐突すぎてなにがなんだか。だって、今まで御幸と恋愛絡みの話なんてしたことがない。お昼休みになんとはなしに女友達と話すならまだしも。そう、こういうのは普通同性同士で話すことなんじゃないのか。

「この間、一年の子から告白されたんだけど、『今は好きじゃなくてもいいんです、好きになってもらえるように努力しますから』って言われて」
「す、すごい……」
「そう、すごい勢いで言われてさ、俺も考えとくって言ったんだけど」
「あっ、保留にしたの」
「……勢いに負けて」

苦々しくそう答えた御幸から察するに、すごく積極的な女の子だったのだろう。元より御幸は自分の意見をはっきり物申すタイプだから、押し負けるなんて珍しいこともあるもんだ。

「倉持とかに、相談しないの?」
「言ったけど」
「けど?」
「『知らねぇよテメェで考えろ。つか断れ、そして死ね!』って言われて全然参考にならねんだもん」
「あー……なるほど」

倉持の悪態はきっと、イケメン死ねって意味なんだろうな、と苦笑する。御幸からそんなことを言われようものなら、ただの嫌味と捉えかねないタイプだ、倉持は。

「どーしたもんかなぁって、思ってさ」

少し困り気味のその言葉に、少し前に前園と衝突したという件を思い出した。私は倉持から話を聞いたにすぎないけれど、キャプテンとしてのやり方に二人の意見が食い違って、寮では気まずい空気が流れていたらしい。

『アイツって、あんま人に頼ることしねぇんだろうな』

私に事を話してくれたとき、倉持はそう言った。周りがどうこう言うよりも、本人の意志が大事だという御幸の意見は、彼自身のマイルールを表したようなものなのだろう。自分の力で、自分の気持ちで解決していく、そのスタンスが現れたような御幸の言い分は、一年の時から先輩を追い越してレギュラーの座に就く御幸を見ていたら、どこか納得できるものがある。

頼ることを知らないはずはない。だとしたら、必要ないと捨ててきたに違いない。それは一概に強いとも弱いとも言いきれないけれど、少なくとも御幸にとっては吉と出続けてきたのだろう。そこで前園とぶつかってしまったのだ。

だから、そんな御幸が、勿論野球のことではなかったにせよ、私に相談紛いの事を呟いたのだから、無下にはできなかった。そもそも、ここで私が取り合わなかったら御幸って他に話せる人いるのか?いないんじゃないの、と同情心が沸いたのも否定できない。

「えーっと、その子のこと、好きじゃないんだよね」
「初めて会ったしな」
「ちょっと気になったりは?」
「気になる?」
「可愛いなぁとか、あんな子が彼女だったらいいかもー、とか」
「彼女ねぇ……」

相手の女の子を思い出しているのだろう、御幸が窓の向こうを見るように頬杖をついた。私も、御幸に強気で攻めていけるような女の子って、一体どんな子だろうと気になった。しかも年下ときた。入学して半年以上も経ったこの時期に告白してくるということは、それはもう、単に練習を見に来てカッコいいだのなんだのと騒ぐ女の子たちとは違うタイプなんだろうことは想像がつく。『好きになってもらえるように努力しますから』なんて言葉からも、本気が窺える。すごいなぁ、と思うと同時に、改めて御幸の人気ぶりを思い知らされた。

「彼女作ったらさぁ、やっぱそれなりに時間とか作んなきゃいけねえかな」
「うーん、そういうのはやっぱり必要なんじゃない」
「だよな……」

言葉の端々から、どこかものぐさな感じが伝わってくる。そりゃさっき、初めて会った相手と言っていたし、興味もなにもないのかもしれない。それでなくてもこの男の頭は野球で占められているのだ。けれど、それでも良いと思って後輩の女の子は告白してきたんだと思う。その健気さを、同じ女子としてなんだか見捨ててはいられなかった。

「じゃあ、友達から始める、とかは?」
「友達ね……」
「そう、向こうも頑張るって言ってるし、友達から恋人になるのもよくあるし」
「へえ、よくあんの」

ていうかむしろ、それしかない気がするのは私だけだろうか。友達っていうか、知り合いにならないと難しいんじゃないかな、と私は思う。だって初対面から付き合い始めるって、一昔前のお見合いみたい。と、言いつつも、私には御幸に女の子の友達ができる姿はいまひとつ思い浮かばなかった。

「ああいうのはさ、好きになったら自然に考えちゃうもんだから、今は別に……」
「ああいうのって?」
「忙しくても、時間作って会いたいとか」
「ああ。……そういうもん?」
「うん、好きな人のことだったら頑張りたくなるっていうか、一生懸命になったりするじゃん?」

イマイチ納得のいかないような表情を御幸が浮かべているので、言い方が悪かったかな、と他の言葉を探す。何か良い例えとかあれば、と私は足りない脳みそをなんとかフル回転させた。好きな人、好きなもの、……野球とか?野球のためなら一生懸命になる、かな、なるよね……よし、これなら説得力ある、と私が意を決した時、御幸の視線が私に固定されていたことに気付いた。何か考え込むように、じっとこちらを見てくるので、思わず「ど、どうしました」と変に敬語が出る。

「……今さぁ、お前、俺のこと一生懸命考えてくれてるよな」
「え?」
「いや、正直さ、また倉持みたいに『自分で考えろ』って言われるかと思ったんだけど」

そう言うと、御幸は頬杖をつく腕を代えて、改めて私を見据えた。しかしその顔には、いつも倉持と話しているときに見せるような悪戯な笑みを浮かべていたので、私はすぐにからかわれているのだと悟る。出た出た、御幸のワルいところ!

「み、御幸とは同じ部活だし、御幸が他に話せる人いないかも、って思ったら、聞いてあげなきゃいけないかなーて思ったから!」
「ふうん?」

そうだよ、同じ部活のよしみで聞いたっていうか、御幸って他に相談できる相手とかいなさそうだったから、可哀想に思ったから相談乗っただけだ。別に私は倉持みたいに、告白されたことを羨ましいとか思うわけないし、だから突っぱねる理由もない。なのに、御幸の崩れないしたり顔がどうにも私の不安を煽る。

「友達とかとなら、これくらい普通に……話すでしょ」
「ふーん、じゃあ俺たち友達なんだ?」
「え、う、……うん?」

御幸の笑顔に思わず首を縦に振ってしまう。その笑顔に含まれた何かは、薄々感じてはいたけれど。

「友達から始まるのも、アリなんだよな」
「!」
「よくあるんだろ?」
「な、な、ない、御幸とは絶対にない!」
「ひでぇなー」
「冗談言う暇あったら真面目に考えなよ!告白のこと!」

そうだ、人が折角真面目に悩んであげたというのに、どこで折れ曲がったのだ。そんな捨て台詞を吐いた頃、午後の授業の予鈴が鳴ったので、これ幸いとばかりに私は御幸の教室を後にした。帰り際、倉持とすれ違ったけど、挨拶するのを忘れた。冗談、としっかり自分で釘をさしたのにも拘らず、私は動揺を隠せなかったのである。






本鈴前に帰ってきた倉持が、出ていった時とは違い、えらく呆れた様子で俺を訪ねてきた。「お前、に何言ったんだよ?」すげー顔ですれ違ったんだけど、と倉持が不審そうに俺に言う。

「別に、思ったこと言っただけ」
「お前の場合、本音イコール嘘なの知ってるか」
「ははは、信用ねーな、俺」

まぁでも、倉持の言うことも一理ある。現にに軽口だと曲解されてしまった。それでもあの時は、思ったことが本当に素直に口からこぼれたのだから仕方ない。自分でも信じられないことに。

「可愛いなぁとか、あんな子が彼女だったらいいかもーとか思ったら、それって気になってるってことらしいぜ」
「はぁ?いきなり何だよ」
が言ってた」
「で?だから?」

動揺したは珍しくて、可愛いと思ったし、真面目に悩んでくれるを見て、そういう奴が傍にいるのは、なんかいいな、とも思った。に真面目に考えなよと言われたそばから思考がずれてしまう。でも、それお前のせいなんだよ。


あの色を見つける

20140718.