出会ったのは二年前の春。森山から、同じ中学のよしみということで誘われてなんとなく海常高校のバスケ部のマネージャーになってみて、一年生ながらめきめきと頭角を現していた彼と出会った。スポーツに真っ直ぐで一生懸命で、部活にのめり込んでいるせいか勉強は少し苦手らしく、テスト前にバスケ部で集まって行う勉強会には少し怖い顔をしてやってきたりする奴だった。ギターが好きで、いろんなバンドに詳しくて、文化祭の後夜祭では軽音部のライブに意気揚々と参加しているのも見たことがあった。バスケ以外でもあんな楽しそうな顔するんだ、と一年生の時にちょっと驚いたのをよく覚えている。といってもバスケの試合でいつもニコニコしているわけじゃないんだけど、仲間の一本が決まったり連携がうまくいったりすると、ニヤッと少し白い歯を見せて、ちょっと人が悪そうに笑うのだ。
感情表現はどっちかっていうと結構わかりやすい方で、だいたい眉毛の動きを見ていると察せる。小堀からそんなコツを教わったおかげで、段々と彼が多用する「おう」の微妙な心境の違いにもわかるようになってきた二年目には、初めて笠松が、部活で思いつめたように練習する姿を見た。彼の姿を見て、私のいる海常バスケ部という存在がどれほど大きいものかを改めて感じさせられた。あの夏を超えた笠松の背中は、より大きくなって頼もしくなった。元より同じ学年ということで関わることは少なくはなかったけれど、彼が主将になってからは、その頻度は格段に増えたように思う。きっとその頃から、見えない気持ちがむくむくと膨らんでいた。名前呼ばれるとほんのちょっと嬉しくなったりとか、会えた時に思わず髪型を気にしてしまったりするようになっていった。今日の昼下がり、笠松が後輩の女の子に告白されている場面を偶然目にした私が、なんだかもやっと感じてしまったのは、つまりはそういうことなのだ。

「そういや最近増えたよなぁ、笠松に告白する子」
「それに今日の子めちゃくちゃ可愛かったよ……」

あれじゃ告白にイエスと答えてるかも、と私が愚痴る相手は、部活でも、そして普段教室でもお世話になってる小堀だ。部活終わりに彼とこうして倉庫でのんびりと世間話を交わしているのも、高いところにしまってある備品をチェックするために少々彼の背の高さを拝借させてもらったからである。背の高さで彼の右に出る人はうちの部にはいない上に、普段から仲が良いせいか、私の選択肢の一番目に彼の名前が挙がった。
小堀はなんとも察しの良い人で、いつのまにか私の気持ちが笠松に向いていることに気付いていた。おまけに気配りの塊みたいな人で、なんやかんやと相談に乗ってもらったりしてすごくお世話になっていた。そのおかげで仲良くなった節もあるのだけど。こんな風に、笠松が告白されていることをぼやける相手がいるというのは、それがなんと生産性のないことであっても、なんだか安心を覚える。それが女子というものなのかもしれない。ボールペンをくるりと回しながら私は今日見たあの一場面を思い出した。綺麗にコテで巻いたゆるくふんわりとウェーブのかかったつやつやの髪。遠目からでもわかるくらいしっかり施されたアイメイクと、適度にのせられたピンク色のチーク。点数でいえば確実に百点な女の子だった。あんなカワイイ子、私が男の子だったら彼女にしたいと思う。そんな風に振り返っていると、小堀が笑いながら「それはないだろ」とスッパリ断言してきた。

「いくら可愛くても、笠松がほぼ初対面の女子の告白にオッケーするはずないって」

小堀の言い分はもっともである。笠松は女の子がやや苦手で、初対面じゃまともに目も合わせない。会話の返事も素っ気なくて、何か怒っているのかと疑いたくなるくらい無愛想。私も初めこそ知らないうちに嫌われてしまったのかと勘違いしたほどだ。そんな彼が女子との交際をあっさりと始めるのは、確かに真夏の東京に雪が降りかねないことである。
それでも私が彼の恋路に、というか正直言うと自分の恋愛にだけど、こうも不安がよぎるのは、主将になって貫禄と逞しさを増したせいか笠松の告白される回数が増えてきていることにある。おまけにその中身が、可愛く着飾った後輩が多いこと。黄瀬くんが入部したせいで増えたギャラリーの何割かが、黄瀬くんから他のバスケ部員へと目移りしているせいだ。

「でもさぁ、告白で一応顔見知りにはなったわけじゃん。そんな可愛い子がさ、これから何度も応援にきてくれてたら、小堀だったら惚れちゃうでしょ」
「どうだろうなー……お、予備のゼッケン入った段ボールあったぞ」
「はーい。最後ミニコーンの段ボールお願いします」
「ああ、さっき見たなそんなやつ……」

ギャラリーが増えることに問題はない。応援してくれるのは一人よりも多い方が絶対にいい。それが女の子の声援なら尚良し、なんて笑顔で言っていたのは森山だけど、そんな彼を小堀も笠松も呆れたように見ていたけど、きっと本音は同じだ。だってみんな、男の子だ。

「……森山が、男は単純だからって言ってた」
「森山?」
「ちょっと応援されたり持ち上げられたりすると、簡単にいい気になっちゃうもんだって」
「ははは……」

森山の理論が誰にでも当てはまるかといえばそうでもないのだろうけれど、でも誰だって好意を寄せられることに悪い気はしないはずで、それが一度だけでなく何度もあれば、ちょっと心が揺れ動いたりしちゃうったりするんじゃないかって思う。常日頃から女の子にモテまくっていて、一筋縄ではいかそうな黄瀬くんはともかく、普通の男子なら、森山の言う単純な男子なら、そうなってもおかしくない気がする。

「まあ男が単純って言うのは否定できないけど……」

小堀はごそごそと段ボールを引き出しては中身を確認する作業を繰り返しながら、私に相づちを打ってくれている。またひとつ蓋を開いて中を覗いたとき、その横顔が少し閃いて、「あ、ミニコーンあったぞ」と嬉しそうな声をあげた。

「よし、備品の確認これで終わり!ありがと、小堀」
「いや別に。これ、明日使うんだよな。降ろしとく?」
「あー、そうだね。うん、お願いします」

ミニコーンも無事発見しました、と書き込みを加えてチェックに使用していた部誌をパタリと閉じる。ボールペンもノックでペン先をしまってノートに引っ掛ける。その間に、見つけた段ボールはしっかりと入り口近くの低い棚の上に移動されていた。本日のマネージャー業務もひとまず、これでおしまいだ。あとは自主練で居残っているスタメンたちにいいところで切り上げてもらって、戸締りをして帰るのみ。
倉庫を出て空を仰げば、今にも落っこちそうな夕日のせいで空は真っ赤に染まっていた。熱さも昼間よりか幾分和らいでいる。蝉もそこそこ静かにしているし、風が通れば気持ちが良いし、アイスを食べたら丁度いいひんやりを味わえる。この時間帯は結構お気に入りだ。
鍵を閉めようと、大量に備え付けられているキーホルダーの中から倉庫のそれを選別していると、隣で小堀がふと思い出したように「さっきの話だけどさ」と私に話しかけた。

「さっき?」
「ほら、が言ってた、これから何度も応援に来てくれたら、惚れるとか惚れないとか」
「うん」
「それを言うなら、今までずっと応援してきたが一番有利なんじゃないか」

マネージャーは、ある種部員に一番近いところにいる。それは事実だ。みんなと同じように試合に出たり練習をしたりすることはしないけど、一応同じ部活動に所属する人間として同じ時間を過ごすことになるから、交流は深まる。ギャラリーの女の子たちよりももっといい場所で、特等席で応援することができる。クラスメイトの中の一人なんて立ち位置じゃわからなかったような、部活中のちょっとずるっぽく笑う表情や、後輩とのワンゲームにムキになったりする姿を知ることができる。だからこそ気になって好きになってしまったわけだけど、私の応援は所詮内側からの応援でしかなくて、外からくる応援が蓄積できるものであるのとは反対に、積もって有利に働くことなんてない。だってそれがマネージャーにとっては当たり前のことだから。自主的に体育館へやってきてエールを送るのは当たり前でもなんでもない行為のひとつだけど、マネージャーというレッテルの貼られた私のそれは、何年積み重ねてもノーカウントなのだ。アドバンテージがあるようで、ない。

「いや、私はマネージャーだったから……しかも別に笠松だけってわけじゃなくて、みんなのこと応援してる立場だし……」
「そうかな。女子が苦手だっていう笠松だからこそ、一番近くにいるって大きいと思うけどな」

近くにいる、人からそう言われると、自分で思うのとはなんだか別の言葉のように聞こえた。そんな小堀の言い方がちょっと恥ずかしく思えて、私はジャラジャラと鍵を探す作業の手を少し早めた。その甲斐あってか見つかった、他より短めの一本をささっと鍵穴に差し込む。ガチャン、と施錠の音が響く。役目の終えた鍵をさっと引き抜いて、隣の小堀に向き直る。

「なんか今日は小堀にすごくぐいぐい背中を押されてる気がするんだけど、気のせい?」
「えっ、俺いつも押してるつもりだったけど。気付かなかった?」
「いつまでもうじうじしてるな、ってことー?」
「そこまで言ってないけどな」

倉庫から、たった数十メートルの距離のバスケ部専用の体育館までの道のりを、私たちはそんな風に話しながら歩いた。確かに小堀にこうして愚痴まがいの相談をし始めてから結構な月日が経っている。だからって簡単に自分の中でゴーサインが出るわけでもなくて。

「だってなんかこう、きっかけがないと……」
「きっかけなぁ」
「うん」

それが動けない最たる理由であり、言い訳でもあった。ただの主将とマネージャーという私にとってベストな関係を壊す一手が、勇気が、まだ足りない。それはほんのちょっと、たった一歩でも前進できるならなんでもいいのに、これというチャンスを私は掴めずにいた。
そんな重たい足取りで歩んでいてもほんのちょとの距離はあっという間になくなっしまって、すぐに体育館にたどり着いた。扉を開けると、そのすぐ脇で、笠松がドリンクを補給しながら休憩している場面に出くわす。どうやら今は森山と黄瀬くんと早川くんの三人でコートに立っているらしい。

「……お前らどこ行ってたんだ?」

私と小堀の組み合わせに首を傾げて、笠松がそう尋ねた。彼が知らないということに、私も一瞬だけ悩んでしまったけれど、すぐに思い出す。そうだ、私が小堀に用事を頼んだとき彼は監督室に呼ばれていたんだった。

「小堀に第三倉庫の備品のチェック手伝ってもらってたんだよ」
「笠松、休憩か?なら俺が入っても平気かな」
「おー、代わり頼むわ。黄瀬の方な」
「了解」

軽く手足をほぐすと、小堀はすぐにコートの集まりに駆けて行く。すぐにボールが動き出して、2対2のミニゲームが始まった。あちらこちらへ動くボールと、それを追う四つの背中に私がつい夢中になっていると、ひょいっと脇から伸びてきた腕が、手元に抱えていた部誌をあっさりと抜き去った。あ、と思う間もなく一瞬の事だった。それを奪った張本人はというと、壁際に設えられたパイプ椅子にどかりと腰を下ろして、こともなげにぱらぱらとめくり始める。

「あー、明日の第一体育館用の練習の備品か」
「そうそう」
「悪い、俺も手伝うって言ってたのにな」
「平気だよ、だって監督と話してたんでしょ」

お目当てのページを探り当てたらしい笠松は、そこで納得の声を上げる。備品とは何を指すのかが気になっていたらしい。直接聞いてくれればいいのに、と思いながら、私も脇に立てかけてあったパイプ椅子を広げて彼の隣に落ち着くことにした。
明日の練習はいつものバスケ部専用の体育館ひとつではなく、もうひとつ校舎近くにある体育館も使用できるらしく、そのために普段はあまり使わない第三倉庫の備品をも駆り出すことになったのだ。監督からその話をされたとき、私も笠松も一緒にいたので、じゃあ前日にやるか、なんて約束を交わした。勿論口約束のような軽い類いのものだったし、だから私は彼がいない代わりに小堀に頼んだのだけど、実は理由はそれだけじゃなくて。

「それにいつも使う脚立が壊れててさ、一番高いところだから背の高い小堀か、あとは黄瀬くんくらいしか届かなそうで──」
「あーそうかよ」
「……別に笠松が小さいとは言ってないから、そんな拗ねないでよ」
「拗ねてねえよ!」

そうは言えども、尖った調子で返事をされれば説得力というものは見いだせなかった。

「ああそうだ、明日の練習、ギャラリー閉めとけってさ。見学受け付けるなって、監督が」
「へえ、めずらし」
「静かに集中させたいらしい」

インハイも近ぇしな、と付け足した理由に、今度は私も素直に頷く。見学者が多いと、それはそれで賑やかで楽しいところもあるけれど、集中しやすい環境かと言われるとそうでもない。大事な試合前や大きな大会の予選が始まると、監督は時々そうやってギャラリーを締め切った環境を作り、選手の集中力を高める方針をとっていた。

「森山のやる気が心配だなぁ」

でもそうすることで逆にテンションが落ちると言う稀有な存在もうちの部活にはいた。私たちと同じ学年の森山である。いつも観客のなかに可愛い女の子を探しては、その子のためにとやる気を出すタイプなのだ。呆れるくらい不真面目な理由だが、これでいつも本当に集中しているのだから面白い。

「女子なんか居ねえ方がいいんだよ。ホントなら毎日締め出したいくらいだ」
「わあ、私がいるところでよくそんなことが言えるね」
「お前は別勘定だ」
「ひどい、私だって女の子なのに」
「そういう意味じゃねえ!面倒くせーな、ったく!」

笠松はそう一喝すると、面倒くささ、を隠しもせずに大きなため息をついてまたノートをペラペラとめくっては眺めていく作業に戻っていった。その様子を私はこっそりと見守る。
ギャラリーの女の子たちとは自分が一線を画されていることはよくわかっている。だからこその軽口だったし、少しの本音も混じっていた。
今日の練習を見に来ていた女の子たちや中庭で必死になって気持ちを伝えていたあの女の子は、笠松のいう別勘定、の方なのだと思うと、やっぱり羨ましい。彼女たちを煩わしいと考えている面は確かにあるんだろうけど、近くで勘定に入れてもらえないよりかはマシに思えた。

「笠松はさぁ、どんな女の子ならいいの」
「……藪から棒になんだよ」
「苦手だなんだの言ってるけど、嫌いじゃないんでしょ」

自分から積極的に話しかけにいくわけじゃないけど、クラスで全く会話を持たないって訳でもないらしいし、委員会だって入っているから他の女子とも関わりはあるんだろう。一切関わりたくないっていうならそんな仕事も引き受けないだろうから、そういうわけでもないのだと思う。だったらなにかしらイメージはありそうな気がして。

「それにほら、最近よく告られてるじゃん。ちょっとくらい良いなって思った子とかいないの?」
「……いねーよ。だから全部断ってんだろ」
「ちゃんと断れてる?」
「当たり前だろ」
「ほんと?」
「ホント」
「じゃなんて断ってんの」
「……」

そうやってその先を尋ねたのは、ほんの出来心だった。すると笠松は面倒くさそうに私を一瞥して、それからまた誌面に視線を戻したから、これは教えてもらえないやつか、なんて少し諦めかけていたのだけど。

「好きな奴がいるから悪い、って断ってる」

思わぬ返答に、私は反応の言葉を失って、ただバカみたいに笠松を見つめることしかできなかった。彼はだからどうしたと言わんばかりの態度で、また一枚紙をめくってのんびりと読み続けている。
いるかいないかでいえば、私は後者を予想していた。だからこそ告白されたり、見学しに来る女の子たちに人気があるといっても、きっかけがないからと踏み出す勇気も振り絞らずにいる自分がいたのだ。彼の気持ちがまだどこにも向いていないと思っていたから。そんな甘ちゃんな私の気持ちは、予想外のカミングアウトでぐらぐらと揺れ始めた。

「いっ、いるの……笠松は、好きな子」
「はーっ……ぜってーそう言うと思った……」
「えっ、なにそのため息……ていうか誰、」

深々と吐き出したそれは、どこか呆れるような雰囲気をまとっていて、それが私の動揺に拍車をかける。どういう意味だろうとか、そもそもどんな子がタイプかって聞いただけだったのになんでこんなことまで知っちゃったんだとか、誰なんだろうとか、気になる疑問があっという間に頭を埋め尽くして思考が鈍る。そんな私をよそに、笠松はパタリと眺めていたノートを閉じて徐に立ち上がった。それから私の向かい側へ来て、ぽすん、と私の頭の上にノートを乗っけた。お陰で私の視界は暗くなった上に狭められて、ここからでは笠松の足もとくらいしか見えないから、取り払いたいと思ったのに、動けなかった。

「誰かさんは別勘定だって、言ったろ」

そう言うや否や、笠松がパッとノートから手を離したのが分かった。頭で感じていた重さが消えて、体育館の照明の明るさが戻ってくる。落ちてくるものを咄嗟に手を伸ばして掴んでいるうちに、彼はさっさと踵を返して、私の視界に背中だけを残していってしまった。べつ、かんじょう。偶然重なった言葉に心揺れた私を放ったままで、笠松はコートに戻ってしまう。戻ってきたらなんて声をかけるのがいいのか、そんなシーンは散々経験してきたはずなのに、どんな言葉も私のなかでしっくりこないものばかりで。どうしたらいいのだろう。それでも期待が止まらない。頭に渦巻く戸惑いの気持ちと、心の高鳴りが反比例するような不思議な感覚がじわじわと足元に集うようだった。爪先に感じるこの高揚感は一体なんだろう。先に踏み出した彼を追いかけていきたくなるような、そんな風に感じ始めていた。

シンプル・キュー

29th,July,2015