日中に暖められたコンクリートがじわりじわりと空気をぬるくしている。肌にまとわりつく湿気と熱気を軽く飛ばしながらペダルをこぐ力を強めた。早くクーラーの効いた部屋に入りたい。その一心で回転させていた。けれど、少し先に見知った姿を見つけて、私はペダルをこぐのを止めた。カラカラカラ、と車輪の回転する音に、当人も気がついたらしい。くるりと振り返って私の姿を認めると、その歩行を中断させた。

「やっほ、部活帰り?」
「おう。は……塾か」
「うん」

彼の隣に並ぶまで自転車を進めたところで、私は地面に降り立った。幸男の家も私の家も、ここから歩いてすぐのところにある。

「よし、頼んだ」
「あ、ちょっと」

ドサリ、と容赦なく前カゴに置かれた幸男のスポーツバックに、自転車がぐらりと揺れる。そんなことより私の鞄が下敷きに、と彼を睨めば、誤魔化すようにハンドルを奪って歩き出した。

「重そう。何入ってんの?」
「明日部活ねぇから、シューズとか諸々洗っちまおうと思ってよ」

ロッカーのもん粗方詰め込んできた、と鞄に視線を落としつつ、幸男は語る。ふうん、珍しく部活休みになるんだ、と私はそちらを気に留めた。バスケ部は年中無休で練習しているイメージがある。強豪校って言われるくらいだから、練習も大変そうだし。そんな部活でキャプテンやってる人が自分の幼馴染みだなんて、なんだか不思議な気分である。

「今度の試合って、インターハイだよね?」
「そうだけど。……なに、見にくんの?」
「ダメ?」
「いや……お前、1回も見に来たことねえじゃん、俺の試合とか」

確かに、中学校のときも、そして高校生になってからも、私は幸男の試合を見に行ったことがない。公式戦も、練習試合とかも。

「だって今回のは引退試合になるかもしれないんでしょ?1回くらいは幸男の試合見といてあげようかなーって」
「余計なお世話だ。つか、勝っても負けても、引退じゃねえし」
「えっ、まだ引退しないの」

冬がある、と力強く断言する幸男に、秋じゃないんだ、とびっくりした。冬までってことは、受験とかどうするんだろう。スポーツ推薦とかだろうか。ガリガリ勉強している私の身としては、羨ましい限りである。好きなものも、極めてしまえばこんな風になるんだなと、彼の姿に感心するばかり。

「うーん……でもさすがに冬の試合は見に行けるかわかんないなぁ」
「来なくていいっつーの」
「折角応援してあげるのに……なに、誰か来る予定でもあんの?」

あまり耳にしたことはない、幸男の浮いたお話。実は応援に来てくれる可愛い女の子でもいるのかな、と顔の覗き込むと、「ちっ、ちげえよ!バカ野郎!」と思い切り視線を逸らされた。その動作につられてか、ハンドルが大きく右に切られる。そっち我が家じゃないよ、と柄の部分を掴んで引き戻すと、少し顔を赤くした幸男と目が合った。ほんと、すぐ照れるんだから。

「お前こそ……いねぇのかよ。そういう応援する相手」
「いるよー」
「ハァ?!いんのかよ!」

途端に大きな声を出した幸男は、驚いたせいか歩みを止めて。そんな様子に私は苦笑いするしかない。そんなに驚くことなのね、と彼の心情を察すれば、やっぱり、もう笑うしかないではないか。

「でも私には全然興味ないみたい」
「……え?」

ずいぶんと長い片想いで、それでも相手はバスケに夢中で一向に私に振り向く気配がない。心のなかでそう付け足した相手の特徴。そんな奴はすぐ目の前にいるというのに、きっと欠片も私の気持ちに気づいてないなんて、やっぱりちょっと可笑しい。

「小さい頃から、そいつがずっと夢中になってるスポーツがあってね。私、それに一度も勝てたためしがないの」

まぁ、バスケしてる姿に惚れたから仕方ないことなんだけど。
いつだったか、幸男に彼女とか作らないの、と聞いたことがあった。時たま女子生徒から告白を受けていることも知っていた。モテるのにどうして作らないのかな、と気になって。
そうしたら、バスケで手一杯だから、彼女がいたとしてもそちらへ気が回せない、そんな回答を得た。幸男なら、バスケに忙しくてもちゃんと彼女のことを大切にしてあげそうなのになぁ、と、当時はそんなことを思った。けれど彼のなかでのウェイトは、もう傾いてしまっているらしい。だから、その時決めたのだ。彼がバスケをやめるときがきたら、私の気持ちを話せばいいかなと。そうしたらきっと、「手一杯」な状態ではないはずだから、考慮の余地はあるんじゃないかと思って。
でもそれはずるずると延期の一途をたどることになる。中学最後の大会があると聞いて、じゃあその試合を見に行こう、そして試合が終わったら、告白しよう。そう思ったのに、どうやら幸男は高校でもバスケットボールを続けるらしいと知って、私の計画は頓挫した。今回も然り。夏で引退かと思いきや冬まで。しかも冬までやるということは、きっと大学でもバスケを続けるということではないか。これでは永遠に、私に勝ち目がない。

「悔しいから、まだ一度も応援に行ってない。……でも、行けないままかもしれないなぁ」

一度でいいから見てみたい。最近は、そんな風に思うようにもなった。気持ちを伝えなくてもいいから。
そう考えたけれど、でもきっと、見たら見たで惚れ直してしまうだろうことぐらい想像がつく。初めて幸男のバスケを見たときみたいに、軽々と心を奪われてしまうのだ。そうしたら尚更、大きくなった気持ちを抑えておくのが難しくなりそうで。

「全くずるいよね……人の気も知らないで、相変わらずバスケ馬鹿で、」
「……バスケ?」
「あ」

ぽろりと零れたワードに、幸男の声が反復する。しまった。一瞬、背中に嫌な汗が伝ったかと思いきや、今度はどくどくと心臓の稼働に緊張が走る。今まで私、何を話してたっけ。名前は出していないけれど、口にしたワードは明確にしてしまうのではないか。私の思う相手が、幼馴染だって。焦ったように逸らした視線の先の自転車のハンドルを食い入るように見つめながら、私は懸命に回顧していた。

けれど、ぐるぐるとめぐる思考回路を止めたのは、そのハンドルから手を放し、私の腕を掴んだ、幸男。

「……お前の周りで、昔っからバスケやってる奴って、俺、1人しか知らないんだけど」

そうだよ、当たり前じゃん。私の幼馴染は、昔からバスケやってて、今も夢中になってる、彼一人なのだから。世紀のど天然でなければ、落ち着いて考えれば誰にでもわかることで。きっと幸男もすぐに気が付いたはずだ。でなければ、こんな確信めいた言い方をするはずがない。私の腕を、引き留めるはずがない。

、」

不本意とはいえ、バレてしまったものはもう取り返しがつかなくなっていた。真っ白になった頭の中に、呼ばれた自分の名前がぽっかりと浮かんで行き場がない。聞こえていた風景の音も何一つなくなったような、そんな心地に落とされた。
くいっと、軽く引っ張られるような感覚が腕に伝わる。答えを急かすような様子の彼に、戸惑っていた私の心が傾いた。聞きたくない、そんな風に拒まれるとしたら、私の恋の結末はひとつしかない。けれど、そうじゃないなら。

そろり、と持ち上げた瞳の先に移した幼馴染と、ぱちりと視線が交差する。でも、やっぱり想像通り、頬を染めた幸男の姿に、私は一瞬で目を逸らした。さっきは視界に収めたままにできたけれど、今は無理だ。私だって、恥ずかしくて死にそう。

「……なぁ、自惚れてもいいの、俺」

かろうじて私にできたのは、首を縦に振ることだけで。そんな可愛げのない私の答えを拾い上げてくれた幸男は、緊張で小さく鳴った私の掌をも掬って、その大きな手の内に閉じ込めた。

熱にうなされるような、そんな夏の始まり。



帰り道のつづき

29th,July,2013
Happy birthday to Kasamatsu!