【上】


 私の告白は、たいそう綺麗な言葉で断られた。家族や友達、そしてボーダーに入ったからには仲間、そして見ず知らずの町の人でさえも、命を懸けて守る対象になってしまった。もうこれ以上、大切なものを増やせない。元々多くを守れるような器ではない自分には、ここいらが限界なんだと言われた。
「──だから俺、お前の恋人にはなれないよ」
 何より一番に私を守ってほしいとか、大事にしてほしいとか、そんなことを考えていた訳じゃない。もっというと、私はなんにも考えていなくて、空っぽな頭でいて、どこにでもいる普通の学生のように恋愛にうつつを抜かした阿呆だった。好きだから好きだと伝えたくらいの、直情回路の脳みそだったわけだけど、柿崎はそうじゃなかった。私よりももっと大人で、周りが見えていて、きちんと自分の気持ちに蓋をすることができる人だった。
 振られた悲しみや苦しみは感じない。そりゃ当時は人生の終わりだと大袈裟に嘆いたこともあったけれど、何年か経って、それなりに理解できることが増えてきた今となっては、あれは恋の終わりというより──食事に誘ってみたけれど予定が合わなくて辞退された時の感覚に似ていた。
「嫌われたわけじゃないし、この先ずっと恋人にならないって断言されたわけでもない。だから、私には未来がある」
「うっわ〜、すごい解釈」
「見えるでしょ?迅にも見えてるんでしょう?私がいつか迎えるであろうハッピーエンド」
「お前がくまにズタズタにされてる地獄絵図なら見えるよ」
「あっそうだ、熊谷ちゃんと模擬戦の約束してたんだった!危ない危ない」
 ズズズ、と音を立ててストローを吸い上げる。空っぽだと確認してから立ち上がり、それを手近なゴミ箱へとスローイン。約束を思い出させてくれてありがと、と迅に伝えてここで別れるつもりが、迅も立ち上がって「おれも行くよ」と言い出した。どうせ熊谷ちゃんのお尻が目的だということは、サイドエフェクトのない私にだってわかることである。
「このS級スケベ隊員め……」
「おれ、もうS級じゃないけど」
「セクハラはまだS級」
「なるほど」
 ここは恥ずべきところなのに納得しちゃうのかよ。図太いというかなんというか。私が迅から二、三歩引いて歩こうとしたら、何を勘違いしたのか、迅は私に向かって「ダイジョブ、人は選んでるから」と笑顔で親指を立てた。私はもちろん腹を立てた。
「しかし、もう既にフラれてたとはな〜わかんなかったな」
 私の怒りのパンチをひょいと脇に避けながら迅は能天気にポケットに手を突っ込み、しみじみとそう言った。この男は未来を予測できる能力があるからして、げんこつひとつまともに当たらない。しかしなんでも見透かすような顔をしているものの、人の過去や内面についてはそうもいかないらしい。
 今更隠すようなことでもないことだから、私は迅に尋ねられたことについて粗方語ってあげていた。好きなやつとかいるの?それってもしかして柿崎?告白しないの?なんで?──好きだから、告白しないのだ。
 柿崎は、今、彼の周りにいる人たちを守るので手一杯だという。恋人なんて作ったら、余計にその重荷を増やすだけだ。自分がその重荷になって彼を潰すようなことはしたくない。いつかなにもかも終わったときに、彼の心に余裕ができたときに、私に振り向いてもらえるようにしようというのが、柿崎にフラレた頃から少し大人になった私の出した答えなのである。
「でもいつになんの?」
「何が?」
「お前が『いつか迎えるであろうハッピーエンド』、いつになると思ってんの」
 ボーダーの仕事が一段落ついたら。この三門市からネイバーという問題が片付いたら。私の想像していた「いつか」とは、そのあたりを指す。でも具体的な年数は私にはわからなくて、それは私がおばあちゃんの年齢になるまで叶わない未来かもしれなかい。そんな不確定な未来になんの希望がある、と迅は言いたいのだろう。
 そう指摘されると言い返す言葉がない。事実、もうあれから数年経っている。柿崎にフラレたとき、私も彼もまだ高校生だった。今はもう大学生になってしまった。
 迅がくるりと体の向きを変えた。後ろ向きになって歩を進めている。なんでも見透かしてしまいそうなその瞳は、面白がるように私を見ている。
「そんないつになるかわかんないハッピーエンド待つより、現実選んだ方がいいと思うよ」
 迅の言う現実が、柿崎と私がただの友達で、ただのボーダー仲間である現状を意味することくらい、私にもわかる。でもなんでだろうとも思う。急にそんな、諭すようなことを言うなんて。私の恋愛に首を突っ込んできたところまでは、面白半分の暇つぶしだったのだろうに、なんだか急に真面目くさったような言い草だ。
「……迅がそういうこと言うの、なんか意外」
「そう?おれはけっこう現実主義者だけど」
「そーでなくて」
「?」
 足を止め、こてん、と小首を傾げた迅の脇を通り過ぎながら、言った。迅に恋愛の説教をされるとは思わなかった、と。説教というほど大仰なものでもないけれど、アドバイスというにはなんだか的確すぎるような言葉だった。──的確?
 今度は私が足を止める番だった。だけど、私を追い越す迅の姿はない。うしろを振り返った。迅は私のすぐ後ろにいた。
「なんか見たの?」
 迅が、彼の能力で知り得た未来の話を私にしているのだろうか、とふと思った。
「私?柿崎?どっちも?」
「……視たけど、おれの未来だよ」
 おれの未来にお前が出てきたから、と迅が困ったように笑う。それは、お邪魔しました、と軽口を叩くべきところなんだろうか。でもなにが見えたというのか、その内容の方が気になる。
「知りたい?」
 有無を言わずに頷いた。仕方ない、とでもいうように、迅がため息を一つ落として口を開いた。
「お前が告白されるんだけど、断ってた」
「えー!」
 大きな声を出して驚く私の傍を、迅がけらけらと笑いながら今度こそ追い越して行く。面白半分で私に好きな人がいるのかと尋ねてきた迅の意図を、ここにきて理解した。なんだ、聞けば全部に意味がある。
 我に返った私は慌ててその背を追いかけた。
「だ、だ、だ……」
「誰か気になる?お前に告る物好き」
 失礼な物言いだと怒る余裕はなかった。好奇心はそれに勝っていた。
「でも聞いたら、くまとの模擬戦に集中できないと思う」
「えっ……えー……それは、」
 そうか、それでさっき『ズタズタにされる地獄絵図』なんて言ったのか。数分前の迅の言葉にすとん、と納得がいく。やはり迅の未来を読み取る能力は確かなものなのだと思い知らされる。私がここで食い下がるか否かによって、幾重にも広がる未来が、たったひとつのそれに確定するのだろう。
「……でも知りたい」
 私がそう言うと、迅は私の左肩に右手を置いた。私の頬を、近づいた迅の前髪がふわりと撫でていく。そっと耳打ちするように届いた吐息と声は、私を惑わすように微笑んでいる気がした。
「おれだよ」
【中】


 紙が擦れる音を私の耳だけが拾っている。目も頭も、他の器官は、その様子を捉える仕事を放棄だ。ぐてり、と机に伏せた私の体の中で、唯一私の意思に反して仕事をしているのは、心臓だけだ。
「どーすっかな……」
 悩める声の主は、隣で私の持ってきた書類とにらめっこをしている柿崎である。ランク戦の解説席へのお誘いに、行ける、行けない、の日付を書き込む書類だ。ランク戦、防衛任務、ボーダー雑務、学校行事、プライベート。隊員が抱えるスケジュールは膨大だ。予定を調整する大変さはお互い身に染みているので、うんうん唸る柿崎の気持ちもわからなくはない。
 急かすこともせず、私は隣でただ柿崎の作業が終わるのを待っていた。柿崎隊の作戦室には、私の暇を潰せるようなものはない。そもそも人様の隊室を暇つぶしにいじくっていいわけでもないけれど。
「おーい、寝たか?」
「起きてるよ」
 起きはせずにそう答えると、柿崎が「暇してるなら巴たちの訓練に付き合ってきてくれよ」と言ってきた。後輩の巴くんたちは今、階下で模擬戦をしているらしい。幼いながらもしっかりしている彼らには好印象しかない。けれど残念ながら付き合う気にはなれなかった。
「ちょっと模擬戦て気分じゃない……」
「そういやお前、この前熊谷にボロボロだったらしいな」
「げっ、どこから聞いたの」
「迅が見てたって」
 耳に痛い情報がダブルコンボで飛び込んできたので、唯一己の意思で働かせていた聴力さえも無力化したくなった。
「珍しいこともあるな?」
「珍しいことがあったので……」
 青天の霹靂、なんて言葉を日常のどこで使うのかと、高校のテストで間違えたときにむしゃくしゃしながら思ったものだが、使うべき時が今だという自覚があるので余計にむしゃくしゃする。
 迅が、私の心をぐるぐるに掻き回していったのだ。おおよそ私と迅の間では考えられなかった、恋愛というエッセンスを用いて。
 いや、考えられなかったのは私の言い分にすぎなくて、迅からしてみたら、私は考えてくれていなかった、みたいなものなのかもしれない。
「何があったんだ?」
 純粋な疑問を抱いている声だった。柿崎は、何も知らないらしい。迅から聞いたのは、私が後輩にズタボロに負けたことだけのようだ。
「……私が聞きたいよ」
「ん?」
 独り言のように呟いたせいか、柿崎の耳までは届かなかったらしい。聞き返す声には「なんでもない」と誤魔化しておいた。
 ずるいやつだと思う。告白の顛末がわかってしまったから、自分の恋路を明るくするより私の恋路を暗くする手をとったのだ。未来がわかるやつに、私が選ぼうとしている道はオススメしないなんて言われたらうっかり気持ちが揺らぐではないか。簡単に揺らいだ自分にも腹立たしい。動揺もなにもなかったら、後輩との模擬戦があんな散々な結果にはならなかったはずなのだ。心の隙があった自分が恨めしくて、またひとつため息をついた。
 そのとき、ぐしゃぐしゃ、と私の頭を柿崎が撫でた。どことなく宥めるような手つきだった。くるりと顔の向きを変えて、視界に柿崎の姿を捉える。その顔、体はまだ書類に向かってペンを走らせている傍ら、私の方へと片腕を伸ばしていた。
「珍しくへこんでるから、慰めてやろうかと」
 私の視線を、「何してるの」という問いと受け取ったらしい。柿崎は、にやりと笑いながらそう答えた。
「それにしてはなんか馬鹿にしてない?」
「巴も照屋もこれで元気出してくれるんだけどな」
「お宅のガキンチョと一緒にしないでね」
 出来が良すぎて後輩ということを忘れそうになるあの二人も、柿崎の兄貴パワーにはまだまだ敵わないところもあるようだ。端から見ていたら、柿崎がいかに後輩に慕われているかというのは、嫌でもわかる。本人は自分なんて、と卑下することもあるみたいだけど、そういうところも丸っと含めて、あの子達は好きなのだ。だから支えてあげたいと思うのだし、力になりたいと願っている。私も、そう思う。
「……柿崎の大事なものぜんぶ、私が守ってあげられたらいいのに」
 出来もしないことだ。私も柿崎と同じようにボーダーに入ったけれど、なんでもできるスーパーマンにはなれっこなかった。家族や友達、仲間、町の人。自分にも、大切にしなければいけないものがたくさんあって、恋人を作る余裕なんてないことを思い知った。柿崎を好きだと愛しく思う気持ちは、わたしのなかに居心地悪く浮遊したまま。たどり着いた結論は、柿崎と同じだった。
「急に、どうした」
「寝言だから気にしないでいーよ」
 夢の中だけで言える絵空事だ。今更瞼を閉じたところで何もならない私の愚行を、柿崎はどう受け止めようか考えあぐねているらしかった。私の頭にのっかったままの柿崎の手が、ちょっとだけ揺らぐ。
 けれどそれもほんの一瞬のこと、彼の掌は私の髪をポンポン、と柔く撫でた。
「お前はそのままでいいよ。……そのままのお前が、大事だ」
 一度、彼に好きだと伝えた。恋人にはなれないと言われた。名づけるならばこの関係は、今もまだ友達のまま。それから何年も経つけれど、まだわたしは彼を愛しく思うままでいる。そんな気持ちを抱えたまま、彼の隣にいる。仲間想いで優しくて、居心地の良い彼の傍で、思いの届かない現実から目を閉じている。
 柿崎が一度も私を好きだと言わない現実は、このまま真っ直ぐ線路のように続いていくのだろうと、薄々わかっている。
【下】


「ははは、予想どーりのカオだ」

意外性の欠片もないと自分で言ったくせに、面白そうにしている。てくてくとこちらへ歩きながら笑う迅に、私はますます眉間のシワを濃くした。この男に会うのはほとんど一週間ぶりだった。
一週間前、迅は私のことを好きだと、直接そういう言葉を言われたわけじゃなかったけれど、とにかく、そうだったの、と動揺してしまうには十分の言葉を私の耳に残していった。私の反応を求めるわけでもなく、単なる言い逃げ。そしてその後、私が心此処にあらずな状態で挑む羽目になってしまった模擬戦を、呑気に観戦していた(らしい、と人伝てに聞いた)。それから七日間、なんの接点もなかった。私は避けていたわけじゃないけれど、正直言って心の整理がどうにもつかなかったから、運よく会わなくて良かった、と昨日くらいまでは思っていた。でも昨日ふと気づいた。私が迅に会わないのではなく、私に会わない選択を向こうが選んでいるのだということに。だってそう、あいつは選ぶことができるのだ、未来を。だってその証拠に、今、迅は私の目の前にいる。突然振りだした雨に、手近にあった公園の東屋に駆け込んだ私と違って、迅は雨くらい予想できそうなものなのに、彼は手ぶらで、おまけに衣服は水を吸って色濃く変化している。

「傘は?」

なんとなく答えがわかっていながらも、口に出して聞いてしまったのは、私の愚かなところだと思う。

「持ってかなかったらお前に会えるって視えたから」

水も滴るなんとやら。でもやっぱり、言わない。お前に会いたかった、なんて素直に可愛いことは、迅は言わない。本当は自分でこの未来を選んだくせして、まったく。

「別に……電話でもなんでも、呼び出されれば、会う」
「どうだかな〜」

からかうような声音でそう言う迅にカチンときて、私はタオルで思い切り迅の頭を拭いてやった。私が使っていた分すこし濡れているのはご愛嬌だ。うおっ、と驚いた声が聞こえたけれど無視をした。

「私は、迅のふざけた行動に慣れてる!」
「え?」
「突拍子もなくて、何考えてるかわかんなくて、ずるくて、人のこともてあそんでるみたいな……とにかくふざけたいろいろ!」
「ちょ、ちょ……ちょっと待てよ」

ぐしゃぐしゃに拭いていた私の腕に、迅がストップをかける。冷えた迅の指先が私の腕に触れた。

「酷い言い様だな」
「自覚ないとは言わせない」
「……そんなに嫌だった?おれがお前に告白するの」

私の腕を引き留めるように握った迅の手に、少しだけ力がこもる。

「嫌もなにも、私告白されてない」
「……そうきたか」
「迅のずるい性格にはもう慣れたって言ったでしょ」
「あの後くまにズタズタにされてたくせによく言うよ」
「うっ」

慣れてはいるが、即時対応できないのが弱点ではあることがバレていたので、私は二の句が告げなかった。でも、私の言い分は通ったらしい。その点に関してはそれ以上の追及はなかった。

「じゃ、あの時おれが言ったこと全部、冗談ってことになったのかな」

お前が告白されてるのが視えた。誰だか知りたい?そんな物好き。おれだよ。
ここで私が冗談だと思ったと言うと、迅はきっとそれに頷くのだろう。雨上がりの虹のようにきれいさっぱりなかった話にするつもりだ。
反対だったら?私が冗談だと思ってないことを伝えたら、どうなるのだろう。今度こそ本当に好きとか嫌いとか、自分の気持ちを私にぶつけてくるだろうか。それはそれで、少し聞いてみたい。自分の恋路を歩くためか、はたまた、叶わなかったことへの当て付けか、なんにせよ一度は他人の恋路を潰そうとした男が、奇を衒わずに歩もうとする姿、見てみたい。

「私、迅のこと、友達として好きだよ」

迅は?
私の問いに、迅がすぐに答えることはなかった。はあ、とため息をひとつこぼして、ちょっと項垂れて、それでも離さなかった私の腕を、くいっと引っ張って。私のおでこと迅の頭がこつん、とくっつく。この距離に驚かないわけなかった。けれど、迅の視線が私に向いていないせいか、跳ねた心が態度にまで影響を及ぼすことはなかった。伏せられた迅の視線は、私たちの足元をずっと見ているようだった。東屋に慌てて駆け込んできた私のパンプスが連れてきた雨滴と、ざあざあだというのに馬鹿みたいに傘を持ってこないでゆっくりここまで歩いてきた迅の靴が吸っていた溜まり水。ふたつがコンクリートの上でいっしょくたになる様子を、気がつけば私もアリの行進を眺めるように見ていて、時が流れて行った。

のことは、女の子として好きだよ」

たっぷり時間が経ってから、迅はゆっくりと息を吐き出すようにそう呟いた。映画や小説でよくある、思春期の全力の告白とは正反対の、やや諦めが入り混じったような言い方だった。まるで白旗を上げているみたいだと思った。それでも、私の鼓動に加速をかけるには十分なパワーを持っていた。
ぱちり、とそれまで地面に向いていた迅の視線が上向きに変わって、私の瞳を捉えた。

「……はは、顔真っ赤」
「そういうことは!フツー言わない!」
「素直にさせたのはじゃん」

これ以上は無理だ、とオーバーヒートしそうな脳みそが私の腕を動かして、えいっと迅の肩を押し返した。額がくっついていたせいでおでこにせき止められていた雨雫が、私と迅の顔を滴り落ちて行った。ひとりは冷や汗のようで、ひとりは涙のように見えた。

「……なんで聞きたかったの? お前には迷惑なだけで、おれにも未来なんかない、こんな告白」

私が迅を拭いていたタオルで、ぐいっと顔を拭いながら、迅は尋ねてきた。

「私は、そのままでいいよ、って、言われたから」
「え?」
「今の友達のまま、なんでもない顔して話してて、隣でぐうたらしてて、何言ったって全部冗談だって誤魔化しちゃう──そういう関係に、私と柿崎は、なっちゃったけど」

好きな人が、私のことを好きでいてくれて、一番大切に思ってくれるハッピーエンドが来たらいいな、と私は思う。そうしたら、きっと幸せだと。でも、そのために今は何もできなくて、我慢するしかない現実は、ちょっぴり息苦しくもある。

「なんでかな、迅とはそういう風になりたくなかった」

迅は自分の顔を拭き終えると、お節介に私の方も拭き始めた。ぽふぽふ、と叩くように優しい手つきだった。視界がタオルに半分くらい隠されながら、迅の顔が時折見えなくなりながら、それでも聞こえてきた声が、傍にいる迅の感情を教えてくれた。

「冗談にしとけば、楽だったのに」
「そーだね」
「でもお前のそういうところ、おれも見習っとくかな」
「迅悠一、素直になる宣言?」
「いや。ならないから」
「じゃあ何を見習うの」

タオル地の感触が私からふっと離れたと思うと、ふわりと開けた視界の先に迅がいた。けれどその姿を見たのも一瞬、そして彼が近づいてきたと気付いたのも刹那。ほっぺたに冷たい何かが触れたあと、迅のにやっと笑った顔が私を見つめていた。

「いっ、きっ、いま、」
「ズルいおれには慣れてるって聞いたから」

もう容赦しないことにした、と楽しそうに宣言した迅が、私の彼氏になるかは、まだわからない、未来のこと。
でももしかしたら、彼には視えているのかもしれない。


エンドロールに君の名前がありますように

26th,April,2020
2018年1月14日発行の迅悠一夢アンソロジー「parallel」に寄稿